2007年07月25日

ノートの話

ノートの話2(Say::So?)

できない子にはもう一種類あって,「書き写す」という作業をすることしか考えていなくて,書いても全く意味を理解しないばかりでなく,記憶もできない子がいます。おそらく二つの作業を同時にできないのだろうと思います
これ僕です。
シングルタスク人間。
2つの行動を一緒にしようとすると大抵失敗したり片方忘れたりする。

小〜高校までの授業は、集中して聞くことで「理解」していた。
ノートをとると、この「理解」が完全じゃなくなる。
だからほとんど書かなかった。

「暗記」や「記憶」をする気は最初から無くて、
「理解」できるかどうかが全て。
僕はどうも暗記が苦手で、理解しないと頭に入らないっぽいので。

この辺は、勉強とは抽象化作業であるの中でも触れたけど。

ノートには二種類あります

実際に手を動かして書くことで,きいたあるいは勉強したということを覚える用
理解したことを整理,記録し,あとで読みかえす用
僕の感覚では一つ目はよくわからない。
一度書いただけで覚えられるものなの?

あとで読みかえす用の必要性は社会人になってから痛感している。
来月から新たな職場になるので、
これを機に日々の出来事をまとめて書き残すという事をやってみる予定。
なんとか習慣化させたい。

できれば自分にちょうどいいノートのとり方は小学生のうちに身につけたいものですが現状ではなかなかそうも言ってられないので誰かがどこかで「おおノートってこんなに役に立つのか!」ということを実感させてやらなければならないんだろうなぁということを思います。
こういう意識のある教師がたくさんいたら良いのだろうなぁと思う。

基本的に学校で求められているノートのとり方って
結局「黒板を丁寧に書き写す事」だったりするので。

ノートそのものが点数になるから、書けと言われるから、仕方なくノートを書く、という事をいくら繰り返したって、
「学ぶ時はノートをとる」という習慣になかなか結びつかないのは当たり前な気がする。
タグ:教育 学習 思考
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2007年06月27日

子供の勉強における能力差

この2つの記事を読んで考えた事。

バカみたいな話だけど(日々の思い)
諦めることと認めることの違い(日々の思い)


子供の勉強における能力差。
これは、多分あると思う。
誰もがイチローにはなれないだろうという意味で、
限界値の差もあるだろうし、
成長の早さにも差は当然あるはず。

それをあまり認識せず、
しかも楽をして全体のレベルを上げようとすると、
とにかく大量に問題を解かせるような事になる(のか?)。

これは100M走が得意な子も苦手な子もひっくるめて、
とにかく走れ、もしくは筋トレをしろ、
筋力がつけば速くなる、というようなものだと思う。

でも実際は能力差、個人差があるわけで。
バラバラなフォームでいくら走ったって、
いくら筋力をつけたってなかなかタイムは縮まらない。
(縮まるかもしれんけど)

子供のうちはそんな事せずに、
良いフォームを身につける事を優先すべきだと思う。
これはTOHさんが常日頃から熱く語られてる事だけどw

指導者は個々のフォームをじっくり見て、
問題点を見つけ、矯正する。

そこにもやはり個人差があり、
ちょっと指摘すればすぐに矯正できる子もいれば、
なかなか悪い癖を直せない子もいると思う。
さらには「良いフォーム」というもの自体、
個人個人違ったりするのかもしれない。

元記事の中に、
「個人差を認めることは諦めることではないか」とか
「指導力の無さの言い訳じゃないか」というような話もあったが、
むしろそれをいち早く認識して、最適な指導をする事こそ
指導者の腕の見せ所なんじゃないかと思う。

指導者じゃない癖に好き勝手言ってるけど、
とりあえず自分の息子にとっては
僕も指導者という面があると思うので。

で、元記事の中で語られている事というのは
ここから先の話なのかもしれないんだけど、
そうやって個々を見極めて指導しても
皆が同じように一流のスプリンターになれるはずも無く。
結果的にあまりタイムの伸びない子もいるかもしれないし
どこまでいっても、やはり個人差はある。

でも多分、その子にとっての良いフォームにできる限り近づける、
問題点を一つ一つ根気良く修正していく、
という事の積み重ねが大事なんじゃないかと思う。
これは「努力する事が大切」という意味では無く。
何が必要かを見極め、一つ一つ身につけていくという事。

ある時、何かのきっかけでガラリと変わることがあるかもしれないし、
そういう「プロセス」をさえ身につければ
それはきっと他の色々な分野でも生きてくると思うし。

元記事では最終的に
私がすべきことは、今のその子が今の場所より前に進むことをサポートすることなのだと改めて思う。
という結論に達しているんだけど、本当にそれが大切なんじゃないかと思います。
タグ:教育 思考
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2007年01月29日

本当に子供がいる親

またこの前の記事(だったら勉強しなくていいや)関連。

勝手な事言ってないで子供を見ろよ。
「なんで勉強しなきゃいけないの?」の答え、または、それを答えないか、なんて事は考えなくったって出てこないといけないものだよ。

この論争に、本当に子供がいる親が悩みながら参加しているとしたら、子供が勉強しないなんて問題よりも、もっと重大な問題を抱えているんじゃないかと思った方がいいね。
いやいや、本当に子供がいる親で、この手の話に全く迷わず答えが出せる人なんて、単に無責任なだけだと思うけど。

自分なりにこうだって答えがあったとしても、それで本当にいいのか考えなきゃダメだし正解なんて無いわけだし。

その一言が、一人の人間の人生を大きく左右するかもしれないわけで。

このブクマコメントは秀逸だと思った。
2007年01月29日 absolute_zero w わかったようなことをw。三流学習塾の講師かよ。
タグ:教育 育児
posted by ボボコフ at 21:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2007年01月23日

だったら勉強しなくていいや

子供の「どうして勉強しなきゃいけないの?」→ 勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明
子供に「どうして勉強しなきゃいけないの?」ときかれたら、何と答えるか?
という話。

で、ぼくが日々実感している、「勉強することによる具体的で直接的で切実なメリット」は次の4つ。

(1)もっと楽しく遊べる

(2)もっと楽しく仕事ができる

(3)もっとすばらしい友達をたくさんつれる

(4)騙されてひどい目に合いにくくなる
まず思うのは、これは全部大人の視点という事。
子供にはほとんど響かないと思う。
楽しく遊んでるし、仕事なんてピンとこないし、友達いるし、騙されねーよって思うだろうし。

というわけで、子供にこれを言ってもあまり意味が無いように思う。


はてブとか見ると何かとても良いみたいな反応が多い?けど、大人の視点から見ても疑問。
(1)と(2)はよくわかる。
絶対とは言わないがその可能性が高くなるのは間違いない。

(4)は微妙。
ここで言っている「勉強」と「騙されにくさ」はあまり関係が無い気が。
むしろ性格の影響が大きいと思うし。
知識のおかげでってのもあるから無関係とは言わないけど。

で、問題は(3)。
そもそも「もっとすばらしい友達」という表現が最悪。
何だそれは。
そんな事考えて勉強するなら、やめてしまえと言いたい。
確かに勉強した事によって友達を助けられる事はあるかもしれないけど、だからすばらしい友達が沢山〜て飛躍しすぎ。
というかその知識がなければ友達じゃなかったような人なら友達じゃなくていいし。
その人と出会う「きっかけ」として必要だったという事はあるかもしれないが、そうでなければまた違う誰かに出会うかもしれないわけで。

「〜とかいうジョークやネタが、先方からポンポンでてきた。」と言われてもだから何?としか思わないし。。

最後の、
これらは全部屁理屈で、現実には、先生の魅力次第なのよ。
ここには同意。

こういう反論があるが、
勉強したら負けだと思っている
それは断じて教師次第、ではない。
それを教師次第とすることは、あなたの人生を教師次第とするのと同じだからだ。
これは少し話が違う。

同じ理由で、学習を勉強と称するのは、人生を勉めて強いることにしてしまう。一回こっきり、しかも大して長くない一生を、いやいやそれも人任せにしてしまうなんて最低ではないか。
人任せにするわけじゃなくて。

他人からの影響を全く受けない人生なんてありえないわけで。
学ぶ事にどん欲な人の多くも、それまでに出会った人だったり育った環境の影響によってそうなったと言っていいはず。

ここでは教師という表現をしているけどそれは限定的な言い方であって、ようはそういう考え方をちゃんと伝えられたり感じさせられたりする人に出会えるかどうかが大切だという話。
人じゃなくて出来事でもいいけど。
多分何らかのきっかけが必要だと思うんだよね。

僕が「どうして勉強しなきゃいけないの?」と聞かれたらなんて答えるかな。。

伝えたいのは「今後人生のあらゆる場面において道具は沢山あった方が選択肢が増えるし便利だぞ」という事。
それをまあ状況に応じて伝わりやすそうな表現で。
あと、勉強って言っても学校の勉強にこだわる必要は無いってのも。
どうでもいいとも言わないけど。
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2006年10月30日

履修漏れ問題雑感

高校の履修漏れ問題が話題になっているが、この問題そのものについてはとりあえずおいといてちょっと違う話。

前々から気になっていたんだけど、今回の件でまた強く違和感を感じたので。

現状の仕組みを考えると、履修問題の当事者となった生徒達が
「この受験前の大事な時期にそんなのやってられん」
というのはまあ当たり前だと思う。

が、やっぱりそんな声が出る受験の仕組みっておかしいんじゃないかと。

「学校の勉強」と「受験の為の勉強」は別物だって話だよねこれ。

そんなの常識なんだろうけど、やっぱりこれっておかしいと思う。
これだけ履修科目がどうたらと騒ぐなら尚更だw

高校でやる事きっちりやったらそれで勝負できるような受験問題を用意すべきじゃないかなぁ。
タグ:受験 教育
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将来の夢

またまた日々の思いさんを元ネタに。

将来の夢(日々の思い)
それを思えば、やはり夢の力は計り知れない原動力になるのではないだろうか。
子ども達が勉強をしないと嘆く前に、その子たちに将来の夢があるか、それを考えてみることも必要なのかもしれない。

そして、最近の子どもは夢がないと嘆く大人は、自分達が子どもに夢を見られなくしているのではないのかということを、もう一度真剣に見つめ直すべきなんじゃないかと思う。
ホントその通りで、夢って大切だと思う。

そして必ずしも夢でなくてもいいかもしれないんだけど、「先を見据える視点」というのもとても大切だと思っている。

勉強は、テストや受験の為にするのではなく、その先だったりもっと大きな所に繋がっていくものだというイメージを、漠然とでもいいから早い時期に持つ事。
多分それがあると勉強する事が少し楽しくなったり意欲が湧いたりするんじゃないかと思うし、進路だとかそういうものも広い視野で考えられる気がする。

その「先を見据える視点」の一番わかりやすい身につけ方が「夢」なのかなと思ったり。
タグ:教育 育児
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小さいときには何を学ばせるか。

先週書こうと思ってたら遅くなっちゃったんだけど。

小さいときには何を学ばせるか。(りんごアンテナ日記〜塾・パズル系ニュースサイト)
小さい頃に「技術」的なことを入れても
結局は「どうしてそうするのか」の部分が
わかっていない状態で先走りすぎて、
本来体得すべきことができないまま成長
してしまう。
これは本当にありがちな話だと思う。

「賢い」ってどういうことだ?(日々の思い)
更に何度かやり取りをして、最後にはどうにかこうにかやっと答えに辿り着いてくれたのだが、少なくともこの問題を解くとき、この子の頭の中には何のイメージもなく、ただテクニックとして身につけた(もしくは身につけさせられた)方法で答えを導き出しているに過ぎないのだろう。
たまたま上の記事と同じ日に読んだんだけど、これも内容的にはほぼ同じ話(たぶん)だと思う。

勉強ってのはやっぱりただ解き方を覚えればいいってもんじゃなくて。

だからこそ、
「勉強」ってなんだろう。
でも書いたように、子供はとにかく「遊べ」と。
学校で学ぶ事、もっと言えばその後の人生で学んでいく事を、吸収する土台を作る為にも。


で、ここから先は自分の中でもよくまとまってない話なので自分メモとして書く。

学校で教わったものの中でも、「その当時は何の為にそれを学ぶのかわからなかった」ものが多々ある。
それは「あまり実感の湧かない知識」という曖昧な形で、何となく「ふ〜ん」という感じでやり過ごしたりしていて。

でもそれは後々になって、「あれはこの為だったのか」とか「あれはもっとちゃんと学んでおけばよかった」なんて思うようになったりするものも沢山含まれていて、「実感が湧かない」なりに頭の片隅に入れておけるかどうかというのは結構大切な事だと思う。

恐らく、本当に土台となる部分をちゃんと「実感を伴う知識」として身につけていないと、その先の「実感の湧かない知識」をとりあえず頭に入れておく事って難しいんじゃないかと。

で、そういう視点で見た時に、ほぼ全ての学習(学校で学ぶものも人生で学ぶものも)の土台となるはずの小学校低学年で学ぶような事を「あまり実感の湧かない知識」として身につけさせてしまうと、その先は相当苦労するだろうなぁ、、と。
雲を掴むような、本当にわけのわからない話を覚える作業が延々と続いていくわけで。

初期の学習をどこまで「実感を伴って」身につけていけるかという事と、「どれだけ遊ぶか」「どれだけ色々な経験を積んでおけるか」という事は、かなり密接に関係しているような気がする。

テクニック的なものは必要だと思った時にいくらでも身につければいいわけで、小さい子供のうちに重要なのは全ての土台となる部分の知識をしっかり確実にものにしていく事だと思う。

人生で本当に役立つのは、早く問題を解く技術じゃなくて自分で解き方を見つける(考える)力のはずだし。
タグ:育児 教育
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2006年08月23日

「答えがググれる世界」の教育

「答えがググれる世界」の教育(POLAR BEAR BLOG)
確かにこの例では、目的であった「3番目の完全数を導く方法を考えること」は達成されていません。しかしこの児童は「3番目の完全数を導くこと」は達成しています。しかも最も効率的な方法で -- これって悲しむべきことでしょうか。

ググらざる知肉(404 Blog Not Found)
悲しむべきなのはググって答えを出す事ではなく、ググらなくても答えを出すポテンシャルがその子にはあるのに、それを引き出していないことだ、と思う。

数学のテストで『電卓使っちゃいけないの、なんでですか?(c)jkondo』と教師に食ってかかった時点で、文系・理系の適性が決まってしまっている!?(キャズムを超えろ!)
ツールを使わず体験することで狭く深い体験をすることで新しい価値を創造する理系人、ツールで出来る事はツールで、というアプローチによって広く浅く経験を積むことで新しい価値を創造する文系人。


んー。
どのエントリも興味深い話。

僕はまず前提として「ググらず答えを出すポテンシャル」を伸ばす努力は
必要だと思っている。

が、「ググるかググらないか」というのは
ケースバイケースでいいんじゃないかと。

そんなもん考えるだけムダだ、って問題はググって済ませばいい。
その判断をする力を伸ばすってのも必要なはずだ。
社会でも役に立つ。
これは理系か文系かって話とはまた別だと思う。

沢登りにはかなり大勢の人が参加していたが、それでも橋のたもとで滝を見上げていただけの人の方が多かった。そうしていたのは老人ばかりではない。おそらく彼らは自分たちがあの沢を登る能力があることを知らないのだろう。それが証拠に、まるで熱すぎる風呂に入るのをためらうがごとく、ちょっと入っては引き返す人々も多かったのだ。
僕はこの場を見たわけじゃないので断言はできないが、
「能力があることを知らない」わけじゃないように思う。
問題は「それをする価値を感じるかどうか」じゃないかと。
沢登りをしてでも滝壷を実際に見る事にどれだけ価値を感じるか。
沢登り自体に価値を感じるか。
各人のその辺の感覚の差で行動が決まる。

最小の完全数は6、二番目は28。では三番目に小さい完全数は--。
僕は恐らく理系の考え方の人間だと思うが
自分が今小学校5年生だったら
こんな問題はググって済ませるか放置するかどっちかだ。

考える価値を全く感じない。
それが解けたから何だ?
完全数?

もっと興味深い問題だったら嬉々として解こうとするだろうけど。

とりあえず「検索して答えを出すことへの批判」をするなら
もう少しマシな問いかけをしてからにすべきじゃないかな。
タグ:学習 教育
posted by ボボコフ at 15:49 | Comment(14) | TrackBack(0) | 教育 | このエントリーを含むはてなブックマーク

叱る時、やってはいけない10か条

叱る時、やってはいけない10か条(All About)

全体的に、僕と嫁さんはその辺りを意識するように心がけているけど
どうしてもその通りできない時はある。
お互いにそれに気付いたら注意するようにしてるのである程度上手くやれてる気はするが
まだまだ試行錯誤。

感情的に叱ってはいけません。

何がどうしていけないのか理解させないと意味無いからね。

子どもの言い分を聞かずに、叱ってはいけません。
まだまだ自分で説明できるような時期じゃないけど
「なんでそういう事するんだ?」って聞くようにしてる。
僕も嫁さんも子供の頃理由を聞いてもらえなくて嫌な思いをした記憶がある。

くどくどといつまでも叱り続けてはいけません。
これは問題無し。

自分の都合で叱ってはいけません。
そりゃそうだ。
どうしてもイライラしてる時とかはあるから気をつけないと。

両親が一緒になって叱ることは避けましょう。
二人同時に「コラー!!!」ってのはあるけどw
一緒にガミガミいう事は無いな。

誰かと比べて叱ってはいけません。
これは絶対やらない自信がある。
僕自身がそういう比較に何の意味も無いと強く思っているから。

昨日と今日で言うことを変えてはいけません。
基本的には無いんだけど、状況の違いによって変わる事も。
「混乱するかな?」なんて思いつつ言うことはある。

全人格を否定する言葉や子どもを突き放す言葉は、使ってはいけません。
人格否定は無いわ。
全然寝ない時に、先に寝るから自分で寝てね、ってのはあるな。
まずいかな。。。

今、叱っている内容に付け加えて、昔のことまで引っ張り出して叱るのもタブーです。
自分がやられて一番嫌だったのがこれw
一つ怒られるとアレもコレも。。。w
僕は絶対やらないw

体罰はやめましょう。
一時期試験的に?手をパシっとやってみた事があるが
全然効果が無い(むしろ喜んでた)のでやめた。
今後成長に応じて、時には必要かもしれないとは思うけど。
基本的にはやらないね。

全体的に納得できる内容ではある。
叱り方って大切だと思うしうまい事できればと思う。
タグ:子供 教育 叱る
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2006年08月15日

大切なのは「考える力」

先日のエントリで、りんごアンテナ日記〜塾・パズル系ニュースサイトさんについて
興味深く読ませてもらっているが共感する記事は少ないと書いた。

そしたら急に共感する記事のオンパレードでビックリ。

さらにこちらにはりんごさんご自身の考えが書かれているのだが
これまた非常に共感できる。
「考える力」をつける方法があるとするならば、それは様々な考え方や知識を吸収することと、ひとりで考える時間をもつことの繰り返しだと思います。けれどその前に「これは考える価値があるものだ」と子供が信じていなければならないし、単純に「おもしろいな〜」と興味を持たなければいけないと思います。
子供達は未来に希望を持っています。「考える力」というのはその希望へ近づくためにはどうすればいいかということを考える力であって、「考える力」をつける教材だけがポンっとお皿にのって店先に並んでいるわけではないと思うのです。
僕もそう思う。

待つことの難しさ(前編)
待つことの難しさ(後編)
これも非常に共感できる話だった。

僕は極端に言えば「考える力」さえ伸ばす事ができれば、
テストの点数も成績もどうでもいいと思っている。
なので結果も求められる塾の方の話に対して共感できない事が多いのは
ある意味当然かもしれないけど。

生きてく上で大切なのは考える力。
問題を解決する方法を模索する力。

それさえあれば、どうにでもなる。
自分に必要なものがあると感じれば、それを得る方法を考えればいい。
何か知識が必要ならば人に聞くなり調べるなりすればいい。
そこでどうするかを「考える力」があれば大丈夫。
そう思っている。

で、実際学校なんかではその「考える力」を伸ばすって意識が低いと感じていて。

僕は元々考えるのが好きで、かつ人の言う事を聞かない(?)子だったので
特に小中学生の間は授業をちゃんと考えながら聞いてれば勉強も何とかなった。
ノートとったりすると話に集中できないのでほとんどとらなかった。
ノート提出とかそういう事をする先生だと
僕は当然提出しないので成績が悪かったりw
昔から成績なんてどうでもいいと思ってたから気にならなかったけど。

でもマジメな子ほど先生の言う事を聞いてまじめに勉強するわけで、
「考える力」を伸ばす機会があまり無いなんて事になりがちな気がする。

なので
「なあ、○○。三角形なんやから、何の半分が○枚なのか考えたらわかるやろ?」
なんて発言をしたり、発言はしなくてもそう考える人は結構いそうだ。
自分が経験してきた「勉強」と全然違うんだから。

単純に「なかなか答えに辿り着けない我が子」に耐えられないだけな可能性もあるけど。

「この人は待ってくれる。」
「この人は簡単にヒントはくれない。」

そんな認識を子ども達がしてくれたら、私の一番の仕事は子どもの表情を見ていることだ。どんなに時間がかかっても、子どもが何かを考えているうちはレッスン時間が終わるまででも待つ。
こういう姿勢が本当に大切だと思う。
僕も子供には極力こういう姿勢で接したい。

問題は僕の母親で、息子が試行錯誤しながらおもちゃで遊んでるのを
僕や嫁さんが微笑ましく見ていると
すぐにこれはこうするんだとか口出ししてしまう。
僕自身がこの親に育てられたのが不思議で仕方ない。

母親の教育からしないとダメだなこれは。
タグ:教育 学習
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2006年08月08日

学習とかについて

教育とか学習とかそういう話には何となく興味があって、
りんごアンテナ日記〜塾・パズル系ニュースサイトさんをいつも見てる。

主に塾講師の方のブログ記事を沢山拾ってきてくれていて
非常に参考になる。

ただいつも読んでいて感じるのは、
それらの記事の中で僕が共感できる数が極端に少ない事。

それはどうかな?と思う記事が沢山あるんだけど、
あまり批判的・否定的な記事ばかり書くのは疲れるし
そもそも僕は勉強を教える立場の人間じゃないし
その辺はあまり書かないようにしてきた。
ただの屁理屈かな?って自分で思う時もあるし。

でも今回また色々思う事があったし
自分的に一度くらい書いておいた方が良い気もしてきたので
ここ数日分から感じた事をまとめて書いてみる。

見るとやるのは大違い(サクラサケ)
子供に勉強して欲しかったら、
まずは自分が学ぶ姿勢を子供に示す必要があるのではないかと思います。
これには非常に共感できる。
ホント、子供は親を良く見てるってのを日々実感してるし。

また、その一方では、
「勉強なんかしたって、将来何の役にも立たない!」と言いきる人もいます。
勉強に真剣に取り組んだことのない(と思われる)人ほど、よくこういうことを言います。

でも、本当にそうでしょうか?
世の中を見渡してみれば、
学校の勉強で習ったことを応用したようなものは、たくさんあることに気付くはずです。

勉強が役に立たないのではなく、役に立てることが出来ない、
あるいは、役に立っていることにすら気付いていない、ということではないかと思います。

勉強の意味や大切さに気付くためには、自分で勉強するしかありませんよね。
これはおかしいと思う。
前半は同意できるんだけど、最後の
「勉強の意味や大切さに気付くためには、自分で勉強するしかありません」
これ。

役に立てることが出来なかったり、立っていることに気付いてないって状況は、
逆に言えば多少は「役に立つはずの勉強をしてきた」という事。
そこに意味を見出せないのに、見出す為には勉強するしかないなんて。
じゃあいつ気付くの?

教える側だったら気付かせてやる努力が必要かと。
勉強しろ、じゃなくて。

じゃあどうやって?って話は
勉強とは抽象化作業である
にも書いたけど僕にはまだよくわからん。

講習会の途中で・・・ (蠍の生息地 )
やらない生徒に力を注ぐのはやめよう、と
いつも思いつつ
結局は力を注ぎ
裏切られて終わる。
成長しないな、私は。
なんか凄い腹立った。
裏切られるって?

もっと色々書きたいけど我慢。

やる気になれなくて辞めるその生徒は
「裏切られた」
と思ってるかもしれないね。

楽しさ(晴れやかな顔が見たい)
しかしながら、勉強とは元来地道な作業で、
忍耐力を必要とするものである。
僕が目にする塾講師の方の記事で割とよく目にするんだけど、
この勉強は本来大変なものとか忍耐力がとか
こういうのには全く賛同できない。

勉強って楽しみながら能動的にやるのが本来の形だと思ってるから。
理想、じゃなくて。

で、当然誰もがそんな状況になれるはずも無く、
塾のような場ではそんな事に関わらず結果を出さなきゃならないんだと思う。
なので忍耐力を強いる必要も当然あるだろうし
それはそれで必要だとは思っている。

けれど、「勉強は本来大変なものだ、忍耐力の要るものだ」という
ある種生徒を能動的にさせる事を最初から放棄したような表現には全く共感できない。

やる気が先か、成績が先か(中学受験 親のためのページ 出張所ver2.0)
「妙薬を あければ中は 小判也」という
ベタベタな川柳がありますが、
「やる気」や「モチベーション」を上げる「妙薬」は、
いい成績しかありません。

子供にやる気やモチベーションがないと嘆く前に、
いい成績をとらせるように工夫すべきだと思います。
全体の方向性としては共感できるんだけど、
僕はモチベーションを高める、やる気を出させるのは「手応え」だと思う。
いい成績というのはその中の1つに過ぎないんじゃないかと。
成績に繋がらなくてもしっかりした手応えがあればやる気は出るだろうし、
逆に成績良くても手応えが無くて
それ程効果が無いなんて事もありそうだし。

「なるほど」「わかった」という手応え。
早い段階でそれを掴ませないと
勉強はどんどん難しく嫌なものになりそうだ。

親父(みかみ塾裏日記)
凄く良いエントリだった!
僕もこういう人になりたい。
タグ:教育 学習
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2006年08月02日

「勉強」ってなんだろう。

「勉強」ってなんだろう。(りんごアンテナ日記〜塾・パズル系ニュースサイト)
幼い子どもにとって、「本気で遊ぶ」こと以上に価値のある「勉強」なんてあるんだろうかとさえ思う。特に、幼いうちの外遊び、指先遊び(折り紙、あやとり、お手玉、積み木、おはじきなどなど)は何にも勝る「勉強」なのではないかと思うのだ。
激しく同意。

僕は息子が生まれる前から
「子供は最低でも小学校卒業までは塾に入れない」
と宣言している。

そんなトコ行く暇があったら遊べと。
毎日遊び倒せと。

親としてはそれを全力でサポートしてやるつもりでいる。
色々と失敗もやらかすだろうけど
やってみないと本当には理解できないからね、何事も。
そういう面でもちゃんとサポートしてやらないと。
甘やかすってわけじゃなくてね。
タグ:勉強 子供 学習
posted by ボボコフ at 14:49 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年07月01日

自由と自分勝手は違う?

僕は、「自由と自分勝手は違う」と言って、責任のことを持ち出す大人が、大嫌いである。(明日は明日の風が吹く)

読んで思うところがあったのでさらっと書こうと思ったんだけど
考えていくうちによくわからなくなった。

脳内を整理する為に思いつくまま箇条書き。

・自由と自分勝手はある意味同じ、ある意味違う
・ここでは同じと考えていい気がする
・行動が味方にすら予測できない馬鹿が11人いるチーム?
・>「同じ」歯車だけの集団は、かえって非効率的
 これはその通り(絶対じゃないけど)
・大まかには同意なんだけど多少矛盾してるような?
・例に挙がっている規格外の人も恐らく責任を背負っている
・いくら監督やボスが責任を負うと言っても
 本人の責任がゼロになる事はまずない

自分の言いたい事はなんとなくわかってきた。

個人の「自由」や「自分勝手」にはやはり責任が伴う。
状況によってその何割かを背負ってくれる人がいるかもしれない。
さらに場合によっては本当に全部誰かが背負ってくれるかもしれない。
けれどそれを含めてどこかに「責任」は発生するんだと思う。

子育てというのは子供を自立させる作業。
親は子供に頼られたいと思いつつ、
相反する?自立の方向に導かなければならない。
その視点で考えれば
「自由と自分勝手は違う」と言って、責任のことを持ち出す
というのは悪い事じゃないはず。
というかむしろ必要と言える気がする。
そういうものだという事は教えるべきだ。
いつも親が守ってやれるわけじゃないし。

じゃあ何が問題なのかというと
彼らは、子供が自由であることの責任を、大人が放棄する国に生まれたのだ。
責任、という言葉でいらぬプレッシャーを個人にかける、教育と社会のほうに責任はなかったと言えるのか。
やっぱりこれなんじゃないかと。
責任があるからといって、
あまりにも大きな責任を背負わせすぎなんじゃないか。

というわけで僕の結論。
「自由や自分勝手には責任を伴う」
これは実際そういう面があるわけだし大切な事でもあるので
それをある程度認識させるのは悪い事ではない。
が、実際に子供に大きな責任を背負わせ、
プレッシャーの中で育てるような現在の日本の風潮には問題がある。

んー、確かにそんな気がする。。。
posted by ボボコフ at 04:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年06月09日

ルールを厳格にする

ルールを厳格にする(見上げれば青い空)
勉強に対してこういう態度の子が学力を伸ばすのは相当に難しい。このあたりを厳格に指導し出すと「それはかわいそうだ」という親御さんも出てくる。しかしながらこういうことをいい加減にしていて後のことはすべてしっかりやっています、という子など絶対にいない。
これは極論過ぎる。
まず教育において「絶対」なんて言葉を安易に使っちゃだめだと思う。

学力というのは勉強時間を上乗せしただけで伸びるものではない。生活習慣やものの考え方、美学、哲学の変化を必要とする。腑抜けた態度で問題集を何度やり直そうとも成績はビクとも上がらないのである。
これはその通りだと思う。
やればいいってもんじゃない。
やったらやったなりのものは残るとも思うけれど。
効果に大きな差は出ると思う。

で、その変化をどうやって起こすかだけど、
それは「やる気の出るお話」も「行動をきちんとさせること」も
1つの方法としてありだと思う。

どれも可能性があるだろうし逆に絶対でもないはず。
いや、確かに効果は高そうだと思うけれど。

「絶対」と言われるとつい絶対とは言えないだろ、
と言いたくなってしまうんだよね。

でもこれって結構大切な事だとも思っていて。
息子と話す時は特に使わないようにしたいと思う。
posted by ボボコフ at 15:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このエントリーを含むはてなブックマーク
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