2007年07月01日

シルバーシートについて

シルバーシートに座れ(大学教員の日常・非日常)

これを読んだ。
コメント、ブクマコメントまで含めて。

人にものを教える側の人間がこんな話をして、
しかも「自分賢い」みたいなのはどうかと。
しかもコメントの大半がそれに賛同とかビックリ。

いや、
一つの考え方としてありかな?とは思うし、
個人が勝手にそうしてるならまだいいけど。

「優先席が必要な人の為に、
自分はその席をキープしておいてあげてるんです」
みたいな、何か立派な感じに書いてある。。

おかしいと思う部分はいくつもあるんだけど、
一番問題だと思うのは
そもそも優先席と普通の席を分けて考えている事。

優先席はなぜ譲るのか。
優先席だから?

普通の席で同じ状況だったらどうするのか。


こんな事を書くと、
「優先席が必要な人は優先席に来る可能性が高いから
自分はそこをキープする」
みたいな話になるのかもしれないけど。
(というか読み直したらそう書いてあったw)

実際優先席が無駄に空いている事は多いし、
譲らない人が座っている場面もよく目にする。
僕も空いてるなら誰かが座ってもいいと思うし、
必要な時に必要な人に譲ればいいと思う。
そういう意味ではこの理屈が完全に滅茶苦茶だとは思わない。

でもそれはまず「全ての座席に対して」であるべきだと思う。
これはもう日本の場合は
全席優先席にするしか無いのかもしれないけど。
残念ながら。


ここからはオマケ。
このロジックに対する細かい疑問点。

・学生達がシルバーシートに座らないのは、本当に
 >A)シルバーシートを必要としている人
 に座ってもらう為なのか。

「必要としない人がシルバーシートに座るのは
マナー違反だ、という空気があるから座らない」
という人は結構いるんじゃないかと。

そういう人にとっては
自分が座らなかった優先席に誰が座ろうと
あまり問題じゃない気がする。
元気モリモリっぽい学生が堂々と座ったら
そりゃあウザイとか思うだろうけど。
大事なのは自分が座らない事なわけで。

このタイプの人にこのロジックで座れと言っても
場の空気が変わらない限り座れないような気がする。
もしかしたらこのロジックを聞いて感動して
「だから堂々と座るぜ、俺カッコイイ」
みたいな方向に行くかもしれない?けど。

他にも、譲る勇気が無いから最初から座らない、
という人も当然いるはず。
それは単に声をかけるのが苦手だったり、
譲るべき人の判断が難しいという理由もあるだろうし
とにかくそれだったら座らなくていいや、という判断。

そういう人にわざわざ
「座れ、そして譲れ」
という必要は全く無いように思う。


・自分から「譲ってもらいたい」という意思を
 示せない人は無視か

優先されても良いような人でも、
自分からそれをアピールできない・しない人は
沢山いると思う。
優先席の近くに行く、という行為も含めて。

優先席であっても無くてもいいけれど、
最初から席が空いていれば
そういう人でも座れるかもしれない。

このすばらしいロジックには
その視点が含まれていないのでは?


・そもそも誰もが座りたいわけじゃないのに
 「座れ」というのはどうか?

まあこれは屁理屈といえば屁理屈w
でも「誰もが座りたい」という前提な
すばらしいロジック、というのは少しひっかかる。

というか、現状優先席に座れない人、
理由はどうであれ、実際座っていないわけで、
それは「必 要」では無いわけで、
そういう人をわざわざ座らせる必要ないのでは。


ようは、人は皆そんな単純なロジックで
行動してるわけじゃないんだから
こんなロジックを
あまりすばらしいもののように
語るべきでは無いと思うわけです。

あえて言うならば、
「(優先席とか関係なく)座りたいなら座っても良い、
自分よりその席が必要と思われる人がいたら譲れ」
でいいような気がする。


■関連
みんな壊れてる
タグ:社会 思考
posted by ボボコフ at 03:16 | Comment(6) | TrackBack(1) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年11月10日

自分が無い人達

2つの記事を見てたら同じ事が気になったので。

あの人キライ(S:今日の一言)
まあ、人間、誰もかれも好きなわけでもなく、嫌いな人だっているのが自然なわけで。そこで他の人間の腕を引っ張るかどうかってこと、関係するようにも思う。腕を引っ張って同意が得られて、集団になっていくことで雪だるま式にテンションがあがり、気づいたらもう止められない流れができていく。なんてこともあるんだろ。
いじめってのは多くの場合そんな感じだと思う。

誰でも多かれ少なかれ好き嫌いがあるわけで、本来なら「俺、あいつ嫌い」ってのが人それぞれあったりして、関わりを減らすなりケンカするなり好きにすればいいと思うんだけど。

問題なのはやはり「他の人間の腕を引っ張る」事にあって。
「あいつ嫌い」じゃなくて「あいつウザくね?」とかやり始めるわけだ。

で、昔から周りを見ていて思う事は、「そんなに周りの目が気になるか?」って事。
何でもかんでも周りに合わせなくてもいいだろと。

ちなみにこういうのって女の子の方がより顕著なイメージがあった。
「仲良しグループ」って枠組みがハッキリしてて。
あくまでイメージだけど。

結局、自分が浮くのが怖いわけで。

上の記事の表現を借りれば、「あいつ実はこっそりうんこしてるんだぜ?」とか「え!お前うんこすんの?」とか言われるのが怖いから、最初から「あいつにうんこ投げつけない?」とか言い出しちゃう感じというか。

で、逆に持ちかけられた側も浮くのが嫌だから、何となく全体の様子を窺いながら流される。
こんな流れが多いような気がする。

実際は持ちかける所でも微妙なバランス感覚を働かせながら微妙な探りあいがあったりもするんだろうけど。
(↑以前女性2人によるモロにこれな話をどこかのブログで読んだがどこだか忘れた)

それぞれ勝手に、もしくは気の合う奴とこっそりうんこしとけば問題無いのに。


劣等感を与えることも教育の一つだと思う(ekken♂)
成績順を発表しない理由が「劣等感を与えないため」というのが事実なのだとしたら、勉強は出来るけど運動能力に劣る子供は劣等感を覚える事は多いのに、優越感を得る機会を失われているのがどうにも納得できない。
劣等感も優越感もいいんだけど、そんなに周囲の人と比べたがる気持ちが僕には理解できない。

人と比べなくても「苦手だからやらねば」とか「ここ得意だ」って意識を持たせる事はいくらでもできると思うけど。
人との比較でしかそれを感じられないならばそここそが問題なんじゃないかと。

ちなみにこの「成績を発表すべきか」という問題に関しても、僕は別にしなくていいじゃん、と思う。
興味があるなら周囲の人間に聞けば?
ていうか成績見ればある程度把握できるでしょ?
必要なら教師とかがそれとなくわからせればいいのでは?

そもそも発表する事によってどれだけ効果があるかも怪しい。
「発表されるから」モチベーションが上がる人もいるだろうけど、下がる人もいるだろうし。


二つの記事から共通して思ったのは、「周囲の目」や「自分の立ち位置」ばかり気にする風潮を無くす努力をもっとすべきなんじゃないかという事。


ある豪華客船が航海の最中に沈みだした。船長は速やかに船から脱出して海に飛び込むように指示をするために外国人客達にこういった。

アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ!」

イギリス人には「飛び込こめばあなたは紳士ですよ!」

ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則となっています!」

イタリア人には「飛び込むと女性にもてますよ!」

フランス人には「飛び込まないでください!」

日本人には「みんな飛び込んでいますよ!」
世界の日本人ジョーク集より

世界の日本人ジョーク集
posted by ボボコフ at 14:33 | Comment(5) | TrackBack(1) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年10月19日

真実を見抜く目

言葉が場を作る(304 Not Modified)

あまりピンと来ないなぁと思いながら前半を読んだ。
そしたら後半があってビックリしたw
内容云々よりもこの文章が書けるって事がまず凄いと思う。

そして、見つけるんだ。
この情報は信頼できるという、自分なりのものさしを。
だから、常に鍛えろ。真実を見抜く目を。

真実を見抜く目を持っているかはわからないが、自分なりのものさしは持ってるつもり。
時々周りの人にもそんな事言われたりする。

ただ僕としてはそれはごく普通の事で。
それを持たずに生きるってどういうこと?って感じで、自分の中に判断基準が無いってのはとても恐ろしいと感じるんだけど。

でも実際おいおいと思う事って多々あるよなぁ。

要するに、だからなんだよ、という話(S:今日の一言)
以前ボボ日の方で、やはりこの方の書かれた記事触れさせていただいた事があるんだけど、それ以来過去ログとかその後の記事とかも色々と読ませてもらっていて。

先日書いたこの記事と同様、僕が日頃考えたりしていながら文章になかなか残せないものを、簡単に書いてしまう方、という印象で見てる。

僕は息子が食物アレルギーで今色々と食べられないという状況の中で、先々場合によっては命の危険に繋がるかもしれないとか、皆と同じものが食べられなくて可哀相とか、まあ考えるべき事は色々あって。
自分と、嫁さんと、息子本人と、それをどう捉えて乗り越えていくかとか、やっぱ四六時中考えているわけで。

その中で、こうすべきなんだろうなとか、多分こういう事なんだろうなとか、自分の中である程度見えている目線というか視点みたいなものがあるんだけど、このsatomiesさんの書かれる話はまさに「その」視点で書かれてる(と感じる)ものが多くて。

で、例によって今回の記事の内容も、全体的に「わかるなぁ」という感じ。

あのね、たかがそれ、部分だから。人物像は作ってないけど、でも流れってのは作ってるから。嘘はついてないけど、計算はしてるから。
やっぱりそこに「全体」を見てしまう人っているんだよね。
いや「全体じゃない」とも言わないけどw

これも上のまなめさんの記事の方で書いた「実際おいおいと思う事」の一つになるかな。


・・無理やりまとめようとしてるんだけど、何を書きたい記事かよくわかんなくなってきた。
いつになったら自力で文章をまとめる力がつくのだろか。

ていうか似た話が前にもあったな?
多面体の一面のみを見て、その人物に失望するのは馬鹿げている。
タグ:言葉 ブログ
posted by ボボコフ at 19:05 | Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年08月17日

世界は広くなったり縮まったりする

世界は広くなったり縮まったりする(りんごアンテナ日記〜塾・パズル系ニュースサイト)
その人は自分は正しいことをしていると思っているかもしれないが、
どんどん世界を狭くしているんだ。
世界っていうのはその人から見えるものが世界ではないんだ。
見えるものの中で自分とつながっているものだけがその人にとっての世界なんだ。
そうやって自分の周りから1つずつ何かを切り離していくことで
どんどん世界と言うのは縮まってしまうものなんだよ
僕はこれ最初誤読したみたい。
りんごアンテナ日記さんとか明日は明日の風が吹くさんでの反応を見て
あれ?って思って読み返してなるほど、と。

あちら側(お客さん)について語ってるのね、これ。
って別に全然わかり辛い文章じゃないし僕が誤読した方がおかしいんだけど。

でもこれ、こちら側にも同じ事が言えるよね?
「タチが悪い客だからってブラックリストに入れるのは世界を狭める事だ。」

これは昨日書いたエントリ、
多面体の一面のみを見て、その人物に失望するのは馬鹿げている。
とほとんど同じ話で
簡単に人との関係を遮断したり疎遠になったりするというのは
世界を狭めていくという事。

これはクレームに限らず、何でも自分が正しいと思って周りをバッサバッサ
切りまくっている人がいるが、ああいうのは逆に損なんだ。
ああ、かわいそうだなあと思うよ。世界はもっともっと広いはずなのにな。
『自分は間違っているかもしれない』というのは逆に損に見えるかもしれないが、
世界を広げると言う意味ではずっと得をしていると思うけどな
僕が気になるのは、まず「損とか得じゃないんじゃないか」という事。
それから「世界が広い方が良い」というのは絶対的な価値じゃないと思う事。

世界が広い方が良い人もいるだろうし
ある程度狭い方が良い人もいるんだと思う。
実際遮断しなきゃどうにもならない場面もあると思うし。

当然世界が広い方が色々な可能性があるんだけど
その可能性をどこまで求めるのかってのも人それぞれ。

前述のように客のタチが悪いからといって避けるのは世界を狭める。
けれど第三者である僕がそれについて良いとか悪いとかは言えない。

正直、あまりに狭い人を見るとかわいそうだと思うし
簡単に世界を狭めていく人を見ると勿体無いなぁ、とは思う。

でもそれは損とか得とかいう話とはやはり少し違うような。

結局世界の広さは人それぞれでいいんじゃないかと思う。
ただ、「繋がりを切っていく事は世界を狭めていく事」という視点は
持っていた方がいいような気がする。

僕自身は世界を広げる努力をほとんどしない人間なので
せめて狭めるような事はしないようにしようと思っている。

もちろん絶対じゃないけど。


追記
対応する必要の無さそうなクレームに真摯に対応して(世界を狭めず)
良い結果に繋がった例。
ファミリーマートで売られている「半熟ゆで卵」は半熟ではないので、十分に注意してください。
タグ:世の中
posted by ボボコフ at 18:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年08月16日

多面体の一面のみを見て、その人物に失望するのは馬鹿げている。

多面体の一面のみを見て、その人物に失望するのは馬鹿げている。(明日は明日の風が吹く)
一つの記事で、その人物のほんの一面が切り取られたに過ぎない文章を読んで、そのブロガーの全てを判断するのは間違いだ。勝手にそれだけで絶望したり失望するのも、それは可笑しな話だ。
内容に関しては確かにその通りだと思うけれど、
これはブログとかネットに限った話じゃなくて一般的で当たり前な話だと思う。

このエントリに限らず、対人関係絡みで「ブログでは〜」「ネットでは〜」と書かれているものの多くに
同様の感想を持つ事は多い。

そもそも「ネット」と「リアル」というような考え方に疑問がある。
「リアル」というのは単に「ネット」ではない事を現す表現の一つなんだろうけど
逆に「ネット」を「リアル」とは別物と捉えているかのような表現を目にする事も多い。

でも実際はネットの向こうには実際に人がいるわけで、
ネットを介して人同士がやり取りしてるだけなんだから
その部分を分けて考える必要ってあまり無いように思う。

上記のエントリも
「人物のほんの一面(もしくはいくつかの面)を見て、その人物の全てを判断するのは間違いだ。」
というごく一般的な話で、「ブログ」という括りはいらないと思う。
posted by ボボコフ at 14:05 | Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年08月10日

3億円あっても楽しくなれない理由は、子供が知っている

3億円あっても楽しくなれない理由は、子供が知っている(分裂勘違い君劇場)
だから、大人たちは、砂場の外に、大人たちの砂場を見つけなければならない。

そして、荒野をさまよった大人たちが、ついに見つけ出す砂場というのは、多くの場合、社会なのだ。大人が最後に見いだす積み木とは、組織なのだ。

営利企業であれ、NGOのような非営利組織であれ、養護施設であれ、小さな山村であれ、家族であれ、国家であれ、世界政府であれ。
んー。

3億円あったら、「砂場遊びをしない」って選択肢ができるのがいいんじゃないの?
タグ:遊び
posted by ボボコフ at 17:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年06月14日

友だち付き合いのうまい人、下手な人

ふーん、、と思った程度でスルーしてたんだけど、
ふとなんか書きたくなった。

友だち付き合いのうまい人、下手な人
A) 人に好かれる人
ネガティブワードをあまり言わない
気軽に人を誘うことをいとわない
仮面でない笑顔ができる
人の話をまっすぐに聴ける
いつも等身大の自分でいられる
自然に楽しむことができる

B) 敬遠されやすい人
物事を悲観的、批判的に捉えることが多い
支配的に他人に接する
他人に依存しやすい
時間的、精神的にゆとりがない
自分らしさがない
押し付けがましさがある
人に好かれる人と敬遠されやすい人って分類ならば、
Aの「気軽に人を誘うことをいとわない」ってのはいらないかな。
全然誘ってこないけど好かれてる人は多いでしょ。

それから
「いつも等身大の自分でいられる」
これ。
友達付き合いが疲れる?って話とも関係するけど
実はこういう人って結構少ないっぽいけど違うの?

まあその辺はどうでも良くて、僕がこの記事で気に入ったのは
重要なのは「自分一人の時間も充実して過ごす」事だってとこ。

友達付き合いが疲れる?の話を書いてる時も思ったんだけど、
結局いつも素に近い自分とか等身大の自分でいられるってのは
「最悪一人でも別にいいや」って開き直り?が必要なのかな?と。

無理して合わせなくても、気の合う奴と仲良くやってりゃいいや、ってのは
もしそういう人と出会わなければ一人でもいいやって前提が無いと成立しないっぽい。

じゃあ自分はそうだったのかと言うと
自分ではそうだと思っているんだけど
僕の場合子供の頃から嫁さんという理解者がいたという事実があって、
最低一人はわかってくれてるという中で生きてきたわけで
仮にそれがなくても同じ様に言えるか、というと
ハッキリとは言い切れないかもしれないなぁ。
posted by ボボコフ at 16:01 | Comment(4) | TrackBack(0) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年06月09日

「それ、知ってます」は禁句

「それ、知ってます」は禁句(九十九式)

んー、そういうのって当たり前の話でわw

そういうのを理屈で考えなくてもごく自然に感じ取って当然のように振舞う事を
「空気を読む」って言うんじゃないかな。

ちょっと前に空気嫁とかコミュニケーション能力とか話題になったけど、
こうやって理屈や経験から技術として身につけていくのは
コミュニケーション能力を高めていく事なんだと思う。

自然に身についていく人は空気読める人なんだと思う。
僕は空気読めるかどうかってのはある程度先天的なものな気がしてる。

つまり、空気読めなくても
高いコミュニケーション能力は身に付けていけるという事。

そう考えれば空気読めるかどうかはそれ程重要じゃないのかも。
ていうかそんな事どうでもいいかw
posted by ボボコフ at 15:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年06月08日

いなか、の、じけん(秋田県小一男児殺害事件)

いなか、の、じけん (秋田県小一男児殺害事件)(弁償するとき目が光る)
元同級生が鈴香容疑者の子供時代に言及して「臭かった」とか「汚かった」とか更には「もの好きもいるんだなって」(結婚に関して)とか、引くから。ドン引きだから。っていうか、おまえが虐めてたんだろって話しだ。で、子供の頃ならまだしも今になってもその発言でしょう。お里が知れると思いました。もう最初から知れてるけど。「(鈴香容疑者は)汚いからみんな避けてました」って、子供は残酷で野蛮だから、仕方がないかもしれないけれど、なんか「汚いから悪い」「避けるのは当然」と今でも思っていそうな気がして、いや確実に思っていて、おまけに事件を盾にして虐めも正当化しそうな勢いすら感じた。後悔も反省もなさそう。

このエントリで言わんとしてる事にはほぼ全面的に同意。

事件そのものもそうなんだが、
一連の報道の流れを見てると
何とも言えない気持ちになるね。

自分が事件起こしたら何て報道されるのか見てみたい。
あまり関わり無かった元同級生とか出てきたりね。
「ゲームばっかりしてた」
「無口で何考えてるのかわからない」
この辺りは確実に出るな。

あとこのエントリでちょっと気になったのは「いなか」という表現。

エントリ自体は「いなか」という言葉に
特に意味は持たせてないのかもしれないんだけど、
少なくともコメント欄では田舎は〜という話がチラホラ。

田舎か否か(!)なんて全く関係ないと思うけれど。
東京を作ってる人の多くは地方の人だし。
posted by ボボコフ at 17:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク
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