2007年07月12日

続・続・友達について

友人、友情、親友について。私の場合(深く考えないで捨てるように書く)
このエントリを読んで、また少し頭の中の整理が出来たのでまた書く。

最初に友達について書いたのは、
主に自分の中の線引きと僕の現在の友人関係について。
友達について(bolog)

次に書いたのは、
結局定義は自分で決めるもので、他人と比較したら悩むだろうね、という話。
続・友達について(bolog)

で、これらのエントリの中で、
「僕の人間関係は恵まれている」というような事を書いた。
ただちょっと煮え切らない感じの表現になっているのは、
実際自分の中で親友だと思えるような人が何人もいる、
そういう人に出会えた、という意味では恵まれていた思うけれど、
僕の価値観や今までの人付き合いの仕方の結果そうなった、
という側面もあると思っているから。

なので人から「恵まれている」とだけ言われると、
やや違和感というか、なんとなくひっかかる。
上記の話を踏まえて言われるのならば
「僕もそう思います」と素直に言えるんだけど。


友人、友情、親友について。私の場合(深く考えないで捨てるように書く)の中で、
azumyさんはご自身の友人関係について、
「言葉での殴り合い」という表現を使って説明されている。
僕のこれまでの人付き合いの仕方を説明するのに
この表現を使うといい具合になりそうな気がしたので書いてみる。

前のエントリでも触れたけど、
僕はうわべの付き合いだとか人に合わせるといった事をあまりしないで育った。
そういう人間関係をわざわざ作っていく意味がわからないし。
昔からこんな事を考えていたわけじゃないが、
小さい頃から自然とそういう人との関わり方をしていたと思う。

思ったことを全て口にするなんて事はもちろん無い(というか無理)けど、
口にするのは基本的に本音。
皆が「これはいい!」と言っていても
僕がそう思わなければ躊躇せず「俺は別にいいと思わないなぁ」とか言う。

周囲の人間に対して、親密度とか、友人かどうかとか関係無しに、
常に殴っているようなものだと思う。
別に人を傷つけようとは思ってないので大したパンチじゃないけれど、
ちょくちょくジャブを繰り出していた(いる)んだと思う。
逆に殴られるのは全然平気。
もちろん言葉なら、だけど。

そして僕は昔から、自分から友人を誘う事があまり無かった。
誘われればあまり相手関係なく遊びに行ったけど。

こうして生きて来たので、
僕に殴られるのが嫌な人、抵抗がある人は自然と疎遠になったはず。
それでも僕を誘ってくれるのは必然的に
殴られても平気な人、殴り返せる人の割合が多くなったはず。
むしろ僕を殴りたい人とかw

これを続けてきた結果が、今の僕の友人関係に繋がっている。
付き合いのある人間の数は少ないけれど、
殴り合いしようと思えばできるような人の割合は高い。

同じようなスタンスで生きてきたのに
そういう人にほとんど出会えなかった人がいるのなら、
その人より僕は恵まれていると言えると思う。
けれど違うスタンスで生きてきた人と比較をするのはかなり難しい。

そんな意識があるので、ただ「恵まれてる」と表現されると
少し違和感を感じてしまう。

いや、別にいいんだけどね。
恵まれてるんだから。
posted by ボボコフ at 16:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このエントリーを含むはてなブックマーク
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