2006年11月10日

自分が無い人達

2つの記事を見てたら同じ事が気になったので。

あの人キライ(S:今日の一言)
まあ、人間、誰もかれも好きなわけでもなく、嫌いな人だっているのが自然なわけで。そこで他の人間の腕を引っ張るかどうかってこと、関係するようにも思う。腕を引っ張って同意が得られて、集団になっていくことで雪だるま式にテンションがあがり、気づいたらもう止められない流れができていく。なんてこともあるんだろ。
いじめってのは多くの場合そんな感じだと思う。

誰でも多かれ少なかれ好き嫌いがあるわけで、本来なら「俺、あいつ嫌い」ってのが人それぞれあったりして、関わりを減らすなりケンカするなり好きにすればいいと思うんだけど。

問題なのはやはり「他の人間の腕を引っ張る」事にあって。
「あいつ嫌い」じゃなくて「あいつウザくね?」とかやり始めるわけだ。

で、昔から周りを見ていて思う事は、「そんなに周りの目が気になるか?」って事。
何でもかんでも周りに合わせなくてもいいだろと。

ちなみにこういうのって女の子の方がより顕著なイメージがあった。
「仲良しグループ」って枠組みがハッキリしてて。
あくまでイメージだけど。

結局、自分が浮くのが怖いわけで。

上の記事の表現を借りれば、「あいつ実はこっそりうんこしてるんだぜ?」とか「え!お前うんこすんの?」とか言われるのが怖いから、最初から「あいつにうんこ投げつけない?」とか言い出しちゃう感じというか。

で、逆に持ちかけられた側も浮くのが嫌だから、何となく全体の様子を窺いながら流される。
こんな流れが多いような気がする。

実際は持ちかける所でも微妙なバランス感覚を働かせながら微妙な探りあいがあったりもするんだろうけど。
(↑以前女性2人によるモロにこれな話をどこかのブログで読んだがどこだか忘れた)

それぞれ勝手に、もしくは気の合う奴とこっそりうんこしとけば問題無いのに。


劣等感を与えることも教育の一つだと思う(ekken♂)
成績順を発表しない理由が「劣等感を与えないため」というのが事実なのだとしたら、勉強は出来るけど運動能力に劣る子供は劣等感を覚える事は多いのに、優越感を得る機会を失われているのがどうにも納得できない。
劣等感も優越感もいいんだけど、そんなに周囲の人と比べたがる気持ちが僕には理解できない。

人と比べなくても「苦手だからやらねば」とか「ここ得意だ」って意識を持たせる事はいくらでもできると思うけど。
人との比較でしかそれを感じられないならばそここそが問題なんじゃないかと。

ちなみにこの「成績を発表すべきか」という問題に関しても、僕は別にしなくていいじゃん、と思う。
興味があるなら周囲の人間に聞けば?
ていうか成績見ればある程度把握できるでしょ?
必要なら教師とかがそれとなくわからせればいいのでは?

そもそも発表する事によってどれだけ効果があるかも怪しい。
「発表されるから」モチベーションが上がる人もいるだろうけど、下がる人もいるだろうし。


二つの記事から共通して思ったのは、「周囲の目」や「自分の立ち位置」ばかり気にする風潮を無くす努力をもっとすべきなんじゃないかという事。


ある豪華客船が航海の最中に沈みだした。船長は速やかに船から脱出して海に飛び込むように指示をするために外国人客達にこういった。

アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ!」

イギリス人には「飛び込こめばあなたは紳士ですよ!」

ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則となっています!」

イタリア人には「飛び込むと女性にもてますよ!」

フランス人には「飛び込まないでください!」

日本人には「みんな飛び込んでいますよ!」
世界の日本人ジョーク集より

世界の日本人ジョーク集

posted by ボボコフ at 14:33 | Comment(5) | TrackBack(1) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
周囲の目に怯えるのは、なんだか自分で自分のことを選択できない人間みたいで、窮屈に感じます。
「周囲の目」に、影響される人間ではなく、影響を与える人間になりたいと私は思います。
Posted by rihaku at 2006年11月11日 20:18
>周囲の目に怯えるのは、なんだか自分で自分のことを選択できない人間みたいで、窮屈に感じます。

この感覚がすごく大事なんじゃないかと思います。

周囲に流されまくってる子達も、多くはそういう感覚自体は持ってると思うんですよね。
だけど結局流されてしまっている。

http://bobokov.seesaa.net/article/17975931.html
だから疲れちゃうんじゃないかと思います。
Posted by ボボコフ at 2006年11月12日 03:57
流されない、というか、攻撃されること、その可能性に対しての対処っての。
それを誰も教えてくれないし、個々の経験の中でのことしかわからない、ってこともあるんじゃないか、と思う。
いじめってヤツも、いじめられてた人のどん底からの体験談ってのはあるけど、明日、どんな視線にさらされるかという恐怖、そこでどう生き抜くか、ってことは、なかなか教えるメディアってないんじゃないか、ってこともあるなあ、とも思う。
子どもだけじゃなく、多分、怖がってるとこって、ここなんじゃないかな、とも思うんですよね。
Posted by at 2006年11月12日 11:33
ボボコフさんへ。
お返事ありがとうございます。
そういう感覚に素直に生きたいですね。自分らしさを反映してるのが、感覚だと思いますので。
 
参考リンク読みました。
> 自分と合う人間とばかり付き合うのは良くないとか。
自分が学びたいことに合わせて、付き合う人間を選んでも良いと思いました。それで限界を感じたら、広げればいいわけですし。
 
Sさんへ。
はじめまして。
 
恐怖に立ち向かう勇気と対処法ですか。それは、自分を広げられる可能性があって、とても興味深いです。
Posted by rihaku at 2006年11月12日 13:01
■Sさん
>明日、どんな視線にさらされるかという恐怖、そこでどう生き抜くか、ってことは、なかなか教えるメディアってないんじゃないか、ってこともあるなあ、とも思う。
その辺について考える必要はありますね。

そして僕がこの記事で書いた事は、
「明日、どんな視線にさらされるかという恐怖」そのものを無くす、もしくは減らす事に繋がると思ってるんです。
ここまで強い恐怖を覚える原因は、「誰かに攻撃される事」じゃなくて「集団に攻撃される事」ですよね。

誰かが上げたおかしな声に対して周囲がワーッと流されてしまう現状を建て直す事ができないのかなと。

■rihakuさん
>自分が学びたいことに合わせて、付き合う人間を選んでも良いと思いました。
プライベートなんて、自分の好きな人間関係を作ればいいと思うんですよ。

今の子供たちは本当に苦しそうに感じます。

Posted by ボボコフ at 2006年11月13日 17:34
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Excerpt: いじめのメカニズムを考える/特殊学級担任→養護学校教諭の“ここだけの話”  ただ、これは大人の言葉によって語られた大人の論理です。ここで示されている事柄を、いかにして子どもにもわかるように説明できる..
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Tracked: 2006-11-10 23:31
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