2007年07月18日

人を信じるという事

「人を信じる事」に関連する記事・コメントから思う事。

はてなブックマーク - メモ - 信じる態度
2007年07月15日 azumy 心理, 人の間 ↓「裏切られることを想定した上で信じる」のは自己責任で信頼するということだと思う。万一裏切られた時、いの一番に相手が悪いとするのでなく、人を見る目がなかった自分に責任があると考えること。
2007年07月15日 NOV1975 人間 裏切られることを想定した上で信じるのって信じるって言えるのかなあ。僕は信用も信頼もしている人に裏切られたらダメージでかいよ。
NOV1975さんに同意。

ここで、ダメージの大きさや自己責任云々は
「信じる事」の「結果」の話であって「信じる事」そのものとは関係が無いので
一旦省いて考える。

「裏切られることを想定した上で信じる」というのは違和感がある。
信じるなら想定する必要が無いはず。
そんな想定が不要だと思えて初めて「信じる」事になるのだと僕は思う。
ただ逆に、「裏切りを想定する」=「信じていない」というわけでも無いとは思う。
「想定の有無」よりも「想定の必要性の有無」に関連が深いというか。

同じ記事のブクマコメントに、
2007年07月14日 Marco11 いや、怖がらないで信じた場合のリスクやデメリットを想定して対応策まで考えてあるから信じられるっていう場合が多いですよ、相手が人間の場合は。それに嘘かどうかを見抜くのは得意だし。考えを読むのも得意だし。
というのがあり、僕は
2007年07月17日 bobokov 心理, 社会, コミュニケーション 「怖がらないで信じた場合のリスクやデメリットを想定して対応策まで考えてある」これって信じてるのかな?
と書いたけどこれも同じ話。
信じるという行為は裏切られるというリスクを伴うものであって、
その対応策が万全だから信じるというのは
もはや全く信じていないようにも見える。


で、信じた結果として裏切られた時は
「人を見る目がなかった自分に責任があると考える」のは当然かと。
これはショックとか怒りとか他の感情とは関係なく。
信じたのは自分だから。


というか言いたい事は以下のエントリに書いてある事と同じ。
人を信じること(novtan別館)
「裏切るかも知れない、でも自分の判断としてはこの人は裏切らないはず」ってのが信じるってことで、裏切りを織り込むってのはどこかで「ああやっぱりね」と言い訳するための予防線なんじゃないかなあ。後者って「全面的に信じなくて良かった」と思うのとイコールだと思うんだけど。だとしたら、やっぱり信じてないんじゃないかなあ。

posted by ボボコフ at 14:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このエントリーを含むはてなブックマーク
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