2007年06月27日

子供の勉強における能力差

この2つの記事を読んで考えた事。

バカみたいな話だけど(日々の思い)
諦めることと認めることの違い(日々の思い)


子供の勉強における能力差。
これは、多分あると思う。
誰もがイチローにはなれないだろうという意味で、
限界値の差もあるだろうし、
成長の早さにも差は当然あるはず。

それをあまり認識せず、
しかも楽をして全体のレベルを上げようとすると、
とにかく大量に問題を解かせるような事になる(のか?)。

これは100M走が得意な子も苦手な子もひっくるめて、
とにかく走れ、もしくは筋トレをしろ、
筋力がつけば速くなる、というようなものだと思う。

でも実際は能力差、個人差があるわけで。
バラバラなフォームでいくら走ったって、
いくら筋力をつけたってなかなかタイムは縮まらない。
(縮まるかもしれんけど)

子供のうちはそんな事せずに、
良いフォームを身につける事を優先すべきだと思う。
これはTOHさんが常日頃から熱く語られてる事だけどw

指導者は個々のフォームをじっくり見て、
問題点を見つけ、矯正する。

そこにもやはり個人差があり、
ちょっと指摘すればすぐに矯正できる子もいれば、
なかなか悪い癖を直せない子もいると思う。
さらには「良いフォーム」というもの自体、
個人個人違ったりするのかもしれない。

元記事の中に、
「個人差を認めることは諦めることではないか」とか
「指導力の無さの言い訳じゃないか」というような話もあったが、
むしろそれをいち早く認識して、最適な指導をする事こそ
指導者の腕の見せ所なんじゃないかと思う。

指導者じゃない癖に好き勝手言ってるけど、
とりあえず自分の息子にとっては
僕も指導者という面があると思うので。

で、元記事の中で語られている事というのは
ここから先の話なのかもしれないんだけど、
そうやって個々を見極めて指導しても
皆が同じように一流のスプリンターになれるはずも無く。
結果的にあまりタイムの伸びない子もいるかもしれないし
どこまでいっても、やはり個人差はある。

でも多分、その子にとっての良いフォームにできる限り近づける、
問題点を一つ一つ根気良く修正していく、
という事の積み重ねが大事なんじゃないかと思う。
これは「努力する事が大切」という意味では無く。
何が必要かを見極め、一つ一つ身につけていくという事。

ある時、何かのきっかけでガラリと変わることがあるかもしれないし、
そういう「プロセス」をさえ身につければ
それはきっと他の色々な分野でも生きてくると思うし。

元記事では最終的に
私がすべきことは、今のその子が今の場所より前に進むことをサポートすることなのだと改めて思う。
という結論に達しているんだけど、本当にそれが大切なんじゃないかと思います。
タグ:教育 思考
posted by ボボコフ at 15:00 | Comment(0) | TrackBack(1) | 教育 | このエントリーを含むはてなブックマーク
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