2006年08月08日

学習とかについて

教育とか学習とかそういう話には何となく興味があって、
りんごアンテナ日記〜塾・パズル系ニュースサイトさんをいつも見てる。

主に塾講師の方のブログ記事を沢山拾ってきてくれていて
非常に参考になる。

ただいつも読んでいて感じるのは、
それらの記事の中で僕が共感できる数が極端に少ない事。

それはどうかな?と思う記事が沢山あるんだけど、
あまり批判的・否定的な記事ばかり書くのは疲れるし
そもそも僕は勉強を教える立場の人間じゃないし
その辺はあまり書かないようにしてきた。
ただの屁理屈かな?って自分で思う時もあるし。

でも今回また色々思う事があったし
自分的に一度くらい書いておいた方が良い気もしてきたので
ここ数日分から感じた事をまとめて書いてみる。

見るとやるのは大違い(サクラサケ)
子供に勉強して欲しかったら、
まずは自分が学ぶ姿勢を子供に示す必要があるのではないかと思います。
これには非常に共感できる。
ホント、子供は親を良く見てるってのを日々実感してるし。

また、その一方では、
「勉強なんかしたって、将来何の役にも立たない!」と言いきる人もいます。
勉強に真剣に取り組んだことのない(と思われる)人ほど、よくこういうことを言います。

でも、本当にそうでしょうか?
世の中を見渡してみれば、
学校の勉強で習ったことを応用したようなものは、たくさんあることに気付くはずです。

勉強が役に立たないのではなく、役に立てることが出来ない、
あるいは、役に立っていることにすら気付いていない、ということではないかと思います。

勉強の意味や大切さに気付くためには、自分で勉強するしかありませんよね。
これはおかしいと思う。
前半は同意できるんだけど、最後の
「勉強の意味や大切さに気付くためには、自分で勉強するしかありません」
これ。

役に立てることが出来なかったり、立っていることに気付いてないって状況は、
逆に言えば多少は「役に立つはずの勉強をしてきた」という事。
そこに意味を見出せないのに、見出す為には勉強するしかないなんて。
じゃあいつ気付くの?

教える側だったら気付かせてやる努力が必要かと。
勉強しろ、じゃなくて。

じゃあどうやって?って話は
勉強とは抽象化作業である
にも書いたけど僕にはまだよくわからん。

講習会の途中で・・・ (蠍の生息地 )
やらない生徒に力を注ぐのはやめよう、と
いつも思いつつ
結局は力を注ぎ
裏切られて終わる。
成長しないな、私は。
なんか凄い腹立った。
裏切られるって?

もっと色々書きたいけど我慢。

やる気になれなくて辞めるその生徒は
「裏切られた」
と思ってるかもしれないね。

楽しさ(晴れやかな顔が見たい)
しかしながら、勉強とは元来地道な作業で、
忍耐力を必要とするものである。
僕が目にする塾講師の方の記事で割とよく目にするんだけど、
この勉強は本来大変なものとか忍耐力がとか
こういうのには全く賛同できない。

勉強って楽しみながら能動的にやるのが本来の形だと思ってるから。
理想、じゃなくて。

で、当然誰もがそんな状況になれるはずも無く、
塾のような場ではそんな事に関わらず結果を出さなきゃならないんだと思う。
なので忍耐力を強いる必要も当然あるだろうし
それはそれで必要だとは思っている。

けれど、「勉強は本来大変なものだ、忍耐力の要るものだ」という
ある種生徒を能動的にさせる事を最初から放棄したような表現には全く共感できない。

やる気が先か、成績が先か(中学受験 親のためのページ 出張所ver2.0)
「妙薬を あければ中は 小判也」という
ベタベタな川柳がありますが、
「やる気」や「モチベーション」を上げる「妙薬」は、
いい成績しかありません。

子供にやる気やモチベーションがないと嘆く前に、
いい成績をとらせるように工夫すべきだと思います。
全体の方向性としては共感できるんだけど、
僕はモチベーションを高める、やる気を出させるのは「手応え」だと思う。
いい成績というのはその中の1つに過ぎないんじゃないかと。
成績に繋がらなくてもしっかりした手応えがあればやる気は出るだろうし、
逆に成績良くても手応えが無くて
それ程効果が無いなんて事もありそうだし。

「なるほど」「わかった」という手応え。
早い段階でそれを掴ませないと
勉強はどんどん難しく嫌なものになりそうだ。

親父(みかみ塾裏日記)
凄く良いエントリだった!
僕もこういう人になりたい。
タグ:教育 学習
posted by ボボコフ at 15:45 | Comment(5) | TrackBack(0) | 教育 | このエントリーを含むはてなブックマーク
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。