2006年08月29日

「人一倍」は何倍か、いちにさんし よんさんにいち、言葉という生命

「人一倍」は何倍か、いちにさんし よんさんにいち、言葉という生命(吹風日記)
「人一倍」という言葉は妙です。「一倍」じゃ変わんないじゃんか、と。調べてみると、江戸時代頃は、「a倍」というのは、「元の数にa倍を足した数」という意味で、「一倍」は「2倍」の意味でした。
!!!

世界バスケの日本×スペインを見てた時に解説者が
「スペインは日本の0.5倍、いや1倍ボールへの反応が早いですね」
と言っていたのが凄く気になったのだがこれでスッキリした。

あの解説者は江戸時代の人だったのね。
タグ:言葉 歴史 雑学
posted by ボボコフ at 15:25 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑学 | このエントリーを含むはてなブックマーク

ギャンブルに「流れ」はあるか、物語を作る生き物、煮つめられた人生

ギャンブルに「流れ」はあるか、物語を作る生き物、煮つめられた人生(吹風日記)
そういう意味では、ランダムな配列に「流れ」を読んでしまう、というのは、人間の一つのいとおしさではないかと、私には思われます。
まとめ方も面白いし興味深いエントリだった。

したがって、「流れ」はあるか? という質問は、つまるところ、こう聞いているのと同じです。「物語」はあるか? そんなもんあるに決まってます。我々人間にとって、世界とは、単なる事実の集積では断じてない。それは、無数の「物語」によって意味づけされて、初めて世界となるのです。
物語、あるあるw
だからギャンブルは面白い!w

でも物語や流れに最初から信じ込んだり期待したりする人は
ギャンブル向いてない(勝ち負けで考えると)と思う。
そういう人ほどハマるような気もするけどw
我々は、勝つために「流れ」を読んでいるのではなく、「物語」をつくろうとして「流れ」を読むのです。いや、あの、勝つために「流れ」を読んでいる人もいらっしゃるようですが、その、なんというか、えー、がんばってください。
元エントリもそれは前提になってる。

ギャンブラーな僕(?)が思うに、
勝ちに拘るなら終始確率を徹底的に考える必要がある。

そんな僕は時々
「そんなやり方して面白いか?」
なんて言葉をかけられたりしたが、
それとは別に物語を作ってるから面白かったんだろうなと
このエントリを読んで思った。
posted by ボボコフ at 15:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年08月23日

「答えがググれる世界」の教育

「答えがググれる世界」の教育(POLAR BEAR BLOG)
確かにこの例では、目的であった「3番目の完全数を導く方法を考えること」は達成されていません。しかしこの児童は「3番目の完全数を導くこと」は達成しています。しかも最も効率的な方法で -- これって悲しむべきことでしょうか。

ググらざる知肉(404 Blog Not Found)
悲しむべきなのはググって答えを出す事ではなく、ググらなくても答えを出すポテンシャルがその子にはあるのに、それを引き出していないことだ、と思う。

数学のテストで『電卓使っちゃいけないの、なんでですか?(c)jkondo』と教師に食ってかかった時点で、文系・理系の適性が決まってしまっている!?(キャズムを超えろ!)
ツールを使わず体験することで狭く深い体験をすることで新しい価値を創造する理系人、ツールで出来る事はツールで、というアプローチによって広く浅く経験を積むことで新しい価値を創造する文系人。


んー。
どのエントリも興味深い話。

僕はまず前提として「ググらず答えを出すポテンシャル」を伸ばす努力は
必要だと思っている。

が、「ググるかググらないか」というのは
ケースバイケースでいいんじゃないかと。

そんなもん考えるだけムダだ、って問題はググって済ませばいい。
その判断をする力を伸ばすってのも必要なはずだ。
社会でも役に立つ。
これは理系か文系かって話とはまた別だと思う。

沢登りにはかなり大勢の人が参加していたが、それでも橋のたもとで滝を見上げていただけの人の方が多かった。そうしていたのは老人ばかりではない。おそらく彼らは自分たちがあの沢を登る能力があることを知らないのだろう。それが証拠に、まるで熱すぎる風呂に入るのをためらうがごとく、ちょっと入っては引き返す人々も多かったのだ。
僕はこの場を見たわけじゃないので断言はできないが、
「能力があることを知らない」わけじゃないように思う。
問題は「それをする価値を感じるかどうか」じゃないかと。
沢登りをしてでも滝壷を実際に見る事にどれだけ価値を感じるか。
沢登り自体に価値を感じるか。
各人のその辺の感覚の差で行動が決まる。

最小の完全数は6、二番目は28。では三番目に小さい完全数は--。
僕は恐らく理系の考え方の人間だと思うが
自分が今小学校5年生だったら
こんな問題はググって済ませるか放置するかどっちかだ。

考える価値を全く感じない。
それが解けたから何だ?
完全数?

もっと興味深い問題だったら嬉々として解こうとするだろうけど。

とりあえず「検索して答えを出すことへの批判」をするなら
もう少しマシな問いかけをしてからにすべきじゃないかな。
タグ:学習 教育
posted by ボボコフ at 15:49 | Comment(14) | TrackBack(0) | 教育 | このエントリーを含むはてなブックマーク

叱る時、やってはいけない10か条

叱る時、やってはいけない10か条(All About)

全体的に、僕と嫁さんはその辺りを意識するように心がけているけど
どうしてもその通りできない時はある。
お互いにそれに気付いたら注意するようにしてるのである程度上手くやれてる気はするが
まだまだ試行錯誤。

感情的に叱ってはいけません。

何がどうしていけないのか理解させないと意味無いからね。

子どもの言い分を聞かずに、叱ってはいけません。
まだまだ自分で説明できるような時期じゃないけど
「なんでそういう事するんだ?」って聞くようにしてる。
僕も嫁さんも子供の頃理由を聞いてもらえなくて嫌な思いをした記憶がある。

くどくどといつまでも叱り続けてはいけません。
これは問題無し。

自分の都合で叱ってはいけません。
そりゃそうだ。
どうしてもイライラしてる時とかはあるから気をつけないと。

両親が一緒になって叱ることは避けましょう。
二人同時に「コラー!!!」ってのはあるけどw
一緒にガミガミいう事は無いな。

誰かと比べて叱ってはいけません。
これは絶対やらない自信がある。
僕自身がそういう比較に何の意味も無いと強く思っているから。

昨日と今日で言うことを変えてはいけません。
基本的には無いんだけど、状況の違いによって変わる事も。
「混乱するかな?」なんて思いつつ言うことはある。

全人格を否定する言葉や子どもを突き放す言葉は、使ってはいけません。
人格否定は無いわ。
全然寝ない時に、先に寝るから自分で寝てね、ってのはあるな。
まずいかな。。。

今、叱っている内容に付け加えて、昔のことまで引っ張り出して叱るのもタブーです。
自分がやられて一番嫌だったのがこれw
一つ怒られるとアレもコレも。。。w
僕は絶対やらないw

体罰はやめましょう。
一時期試験的に?手をパシっとやってみた事があるが
全然効果が無い(むしろ喜んでた)のでやめた。
今後成長に応じて、時には必要かもしれないとは思うけど。
基本的にはやらないね。

全体的に納得できる内容ではある。
叱り方って大切だと思うしうまい事できればと思う。
タグ:子供 教育 叱る
posted by ボボコフ at 13:06 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年08月17日

世界は広くなったり縮まったりする

世界は広くなったり縮まったりする(りんごアンテナ日記〜塾・パズル系ニュースサイト)
その人は自分は正しいことをしていると思っているかもしれないが、
どんどん世界を狭くしているんだ。
世界っていうのはその人から見えるものが世界ではないんだ。
見えるものの中で自分とつながっているものだけがその人にとっての世界なんだ。
そうやって自分の周りから1つずつ何かを切り離していくことで
どんどん世界と言うのは縮まってしまうものなんだよ
僕はこれ最初誤読したみたい。
りんごアンテナ日記さんとか明日は明日の風が吹くさんでの反応を見て
あれ?って思って読み返してなるほど、と。

あちら側(お客さん)について語ってるのね、これ。
って別に全然わかり辛い文章じゃないし僕が誤読した方がおかしいんだけど。

でもこれ、こちら側にも同じ事が言えるよね?
「タチが悪い客だからってブラックリストに入れるのは世界を狭める事だ。」

これは昨日書いたエントリ、
多面体の一面のみを見て、その人物に失望するのは馬鹿げている。
とほとんど同じ話で
簡単に人との関係を遮断したり疎遠になったりするというのは
世界を狭めていくという事。

これはクレームに限らず、何でも自分が正しいと思って周りをバッサバッサ
切りまくっている人がいるが、ああいうのは逆に損なんだ。
ああ、かわいそうだなあと思うよ。世界はもっともっと広いはずなのにな。
『自分は間違っているかもしれない』というのは逆に損に見えるかもしれないが、
世界を広げると言う意味ではずっと得をしていると思うけどな
僕が気になるのは、まず「損とか得じゃないんじゃないか」という事。
それから「世界が広い方が良い」というのは絶対的な価値じゃないと思う事。

世界が広い方が良い人もいるだろうし
ある程度狭い方が良い人もいるんだと思う。
実際遮断しなきゃどうにもならない場面もあると思うし。

当然世界が広い方が色々な可能性があるんだけど
その可能性をどこまで求めるのかってのも人それぞれ。

前述のように客のタチが悪いからといって避けるのは世界を狭める。
けれど第三者である僕がそれについて良いとか悪いとかは言えない。

正直、あまりに狭い人を見るとかわいそうだと思うし
簡単に世界を狭めていく人を見ると勿体無いなぁ、とは思う。

でもそれは損とか得とかいう話とはやはり少し違うような。

結局世界の広さは人それぞれでいいんじゃないかと思う。
ただ、「繋がりを切っていく事は世界を狭めていく事」という視点は
持っていた方がいいような気がする。

僕自身は世界を広げる努力をほとんどしない人間なので
せめて狭めるような事はしないようにしようと思っている。

もちろん絶対じゃないけど。


追記
対応する必要の無さそうなクレームに真摯に対応して(世界を狭めず)
良い結果に繋がった例。
ファミリーマートで売られている「半熟ゆで卵」は半熟ではないので、十分に注意してください。
タグ:世の中
posted by ボボコフ at 18:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年08月16日

多面体の一面のみを見て、その人物に失望するのは馬鹿げている。

多面体の一面のみを見て、その人物に失望するのは馬鹿げている。(明日は明日の風が吹く)
一つの記事で、その人物のほんの一面が切り取られたに過ぎない文章を読んで、そのブロガーの全てを判断するのは間違いだ。勝手にそれだけで絶望したり失望するのも、それは可笑しな話だ。
内容に関しては確かにその通りだと思うけれど、
これはブログとかネットに限った話じゃなくて一般的で当たり前な話だと思う。

このエントリに限らず、対人関係絡みで「ブログでは〜」「ネットでは〜」と書かれているものの多くに
同様の感想を持つ事は多い。

そもそも「ネット」と「リアル」というような考え方に疑問がある。
「リアル」というのは単に「ネット」ではない事を現す表現の一つなんだろうけど
逆に「ネット」を「リアル」とは別物と捉えているかのような表現を目にする事も多い。

でも実際はネットの向こうには実際に人がいるわけで、
ネットを介して人同士がやり取りしてるだけなんだから
その部分を分けて考える必要ってあまり無いように思う。

上記のエントリも
「人物のほんの一面(もしくはいくつかの面)を見て、その人物の全てを判断するのは間違いだ。」
というごく一般的な話で、「ブログ」という括りはいらないと思う。
posted by ボボコフ at 14:05 | Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年08月15日

大切なのは「考える力」

先日のエントリで、りんごアンテナ日記〜塾・パズル系ニュースサイトさんについて
興味深く読ませてもらっているが共感する記事は少ないと書いた。

そしたら急に共感する記事のオンパレードでビックリ。

さらにこちらにはりんごさんご自身の考えが書かれているのだが
これまた非常に共感できる。
「考える力」をつける方法があるとするならば、それは様々な考え方や知識を吸収することと、ひとりで考える時間をもつことの繰り返しだと思います。けれどその前に「これは考える価値があるものだ」と子供が信じていなければならないし、単純に「おもしろいな〜」と興味を持たなければいけないと思います。
子供達は未来に希望を持っています。「考える力」というのはその希望へ近づくためにはどうすればいいかということを考える力であって、「考える力」をつける教材だけがポンっとお皿にのって店先に並んでいるわけではないと思うのです。
僕もそう思う。

待つことの難しさ(前編)
待つことの難しさ(後編)
これも非常に共感できる話だった。

僕は極端に言えば「考える力」さえ伸ばす事ができれば、
テストの点数も成績もどうでもいいと思っている。
なので結果も求められる塾の方の話に対して共感できない事が多いのは
ある意味当然かもしれないけど。

生きてく上で大切なのは考える力。
問題を解決する方法を模索する力。

それさえあれば、どうにでもなる。
自分に必要なものがあると感じれば、それを得る方法を考えればいい。
何か知識が必要ならば人に聞くなり調べるなりすればいい。
そこでどうするかを「考える力」があれば大丈夫。
そう思っている。

で、実際学校なんかではその「考える力」を伸ばすって意識が低いと感じていて。

僕は元々考えるのが好きで、かつ人の言う事を聞かない(?)子だったので
特に小中学生の間は授業をちゃんと考えながら聞いてれば勉強も何とかなった。
ノートとったりすると話に集中できないのでほとんどとらなかった。
ノート提出とかそういう事をする先生だと
僕は当然提出しないので成績が悪かったりw
昔から成績なんてどうでもいいと思ってたから気にならなかったけど。

でもマジメな子ほど先生の言う事を聞いてまじめに勉強するわけで、
「考える力」を伸ばす機会があまり無いなんて事になりがちな気がする。

なので
「なあ、○○。三角形なんやから、何の半分が○枚なのか考えたらわかるやろ?」
なんて発言をしたり、発言はしなくてもそう考える人は結構いそうだ。
自分が経験してきた「勉強」と全然違うんだから。

単純に「なかなか答えに辿り着けない我が子」に耐えられないだけな可能性もあるけど。

「この人は待ってくれる。」
「この人は簡単にヒントはくれない。」

そんな認識を子ども達がしてくれたら、私の一番の仕事は子どもの表情を見ていることだ。どんなに時間がかかっても、子どもが何かを考えているうちはレッスン時間が終わるまででも待つ。
こういう姿勢が本当に大切だと思う。
僕も子供には極力こういう姿勢で接したい。

問題は僕の母親で、息子が試行錯誤しながらおもちゃで遊んでるのを
僕や嫁さんが微笑ましく見ていると
すぐにこれはこうするんだとか口出ししてしまう。
僕自身がこの親に育てられたのが不思議で仕方ない。

母親の教育からしないとダメだなこれは。
タグ:教育 学習
posted by ボボコフ at 19:37 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年08月10日

3億円あっても楽しくなれない理由は、子供が知っている

3億円あっても楽しくなれない理由は、子供が知っている(分裂勘違い君劇場)
だから、大人たちは、砂場の外に、大人たちの砂場を見つけなければならない。

そして、荒野をさまよった大人たちが、ついに見つけ出す砂場というのは、多くの場合、社会なのだ。大人が最後に見いだす積み木とは、組織なのだ。

営利企業であれ、NGOのような非営利組織であれ、養護施設であれ、小さな山村であれ、家族であれ、国家であれ、世界政府であれ。
んー。

3億円あったら、「砂場遊びをしない」って選択肢ができるのがいいんじゃないの?
タグ:遊び
posted by ボボコフ at 17:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年08月08日

学習とかについて

教育とか学習とかそういう話には何となく興味があって、
りんごアンテナ日記〜塾・パズル系ニュースサイトさんをいつも見てる。

主に塾講師の方のブログ記事を沢山拾ってきてくれていて
非常に参考になる。

ただいつも読んでいて感じるのは、
それらの記事の中で僕が共感できる数が極端に少ない事。

それはどうかな?と思う記事が沢山あるんだけど、
あまり批判的・否定的な記事ばかり書くのは疲れるし
そもそも僕は勉強を教える立場の人間じゃないし
その辺はあまり書かないようにしてきた。
ただの屁理屈かな?って自分で思う時もあるし。

でも今回また色々思う事があったし
自分的に一度くらい書いておいた方が良い気もしてきたので
ここ数日分から感じた事をまとめて書いてみる。

見るとやるのは大違い(サクラサケ)
子供に勉強して欲しかったら、
まずは自分が学ぶ姿勢を子供に示す必要があるのではないかと思います。
これには非常に共感できる。
ホント、子供は親を良く見てるってのを日々実感してるし。

また、その一方では、
「勉強なんかしたって、将来何の役にも立たない!」と言いきる人もいます。
勉強に真剣に取り組んだことのない(と思われる)人ほど、よくこういうことを言います。

でも、本当にそうでしょうか?
世の中を見渡してみれば、
学校の勉強で習ったことを応用したようなものは、たくさんあることに気付くはずです。

勉強が役に立たないのではなく、役に立てることが出来ない、
あるいは、役に立っていることにすら気付いていない、ということではないかと思います。

勉強の意味や大切さに気付くためには、自分で勉強するしかありませんよね。
これはおかしいと思う。
前半は同意できるんだけど、最後の
「勉強の意味や大切さに気付くためには、自分で勉強するしかありません」
これ。

役に立てることが出来なかったり、立っていることに気付いてないって状況は、
逆に言えば多少は「役に立つはずの勉強をしてきた」という事。
そこに意味を見出せないのに、見出す為には勉強するしかないなんて。
じゃあいつ気付くの?

教える側だったら気付かせてやる努力が必要かと。
勉強しろ、じゃなくて。

じゃあどうやって?って話は
勉強とは抽象化作業である
にも書いたけど僕にはまだよくわからん。

講習会の途中で・・・ (蠍の生息地 )
やらない生徒に力を注ぐのはやめよう、と
いつも思いつつ
結局は力を注ぎ
裏切られて終わる。
成長しないな、私は。
なんか凄い腹立った。
裏切られるって?

もっと色々書きたいけど我慢。

やる気になれなくて辞めるその生徒は
「裏切られた」
と思ってるかもしれないね。

楽しさ(晴れやかな顔が見たい)
しかしながら、勉強とは元来地道な作業で、
忍耐力を必要とするものである。
僕が目にする塾講師の方の記事で割とよく目にするんだけど、
この勉強は本来大変なものとか忍耐力がとか
こういうのには全く賛同できない。

勉強って楽しみながら能動的にやるのが本来の形だと思ってるから。
理想、じゃなくて。

で、当然誰もがそんな状況になれるはずも無く、
塾のような場ではそんな事に関わらず結果を出さなきゃならないんだと思う。
なので忍耐力を強いる必要も当然あるだろうし
それはそれで必要だとは思っている。

けれど、「勉強は本来大変なものだ、忍耐力の要るものだ」という
ある種生徒を能動的にさせる事を最初から放棄したような表現には全く共感できない。

やる気が先か、成績が先か(中学受験 親のためのページ 出張所ver2.0)
「妙薬を あければ中は 小判也」という
ベタベタな川柳がありますが、
「やる気」や「モチベーション」を上げる「妙薬」は、
いい成績しかありません。

子供にやる気やモチベーションがないと嘆く前に、
いい成績をとらせるように工夫すべきだと思います。
全体の方向性としては共感できるんだけど、
僕はモチベーションを高める、やる気を出させるのは「手応え」だと思う。
いい成績というのはその中の1つに過ぎないんじゃないかと。
成績に繋がらなくてもしっかりした手応えがあればやる気は出るだろうし、
逆に成績良くても手応えが無くて
それ程効果が無いなんて事もありそうだし。

「なるほど」「わかった」という手応え。
早い段階でそれを掴ませないと
勉強はどんどん難しく嫌なものになりそうだ。

親父(みかみ塾裏日記)
凄く良いエントリだった!
僕もこういう人になりたい。
タグ:教育 学習
posted by ボボコフ at 15:45 | Comment(5) | TrackBack(0) | 教育 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年08月02日

「勉強」ってなんだろう。

「勉強」ってなんだろう。(りんごアンテナ日記〜塾・パズル系ニュースサイト)
幼い子どもにとって、「本気で遊ぶ」こと以上に価値のある「勉強」なんてあるんだろうかとさえ思う。特に、幼いうちの外遊び、指先遊び(折り紙、あやとり、お手玉、積み木、おはじきなどなど)は何にも勝る「勉強」なのではないかと思うのだ。
激しく同意。

僕は息子が生まれる前から
「子供は最低でも小学校卒業までは塾に入れない」
と宣言している。

そんなトコ行く暇があったら遊べと。
毎日遊び倒せと。

親としてはそれを全力でサポートしてやるつもりでいる。
色々と失敗もやらかすだろうけど
やってみないと本当には理解できないからね、何事も。
そういう面でもちゃんとサポートしてやらないと。
甘やかすってわけじゃなくてね。
タグ:勉強 子供 学習
posted by ボボコフ at 14:49 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育 | このエントリーを含むはてなブックマーク
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