2006年07月26日

頭が良い人

「頭が良い人」のイメージ(まなめはうす)

大元の記事(というかスレ)をざっと読んだ印象は
ARTIFACT@ハテナ系さんに書かれていた
このままだと「空気を読む」と「頭が良い」が同義語になっちゃう!(笑) ここでもコミュニケーション能力話に!
これと同じだった。

「コミュニケーション能力」と「頭の良さ」は関係はあると思うが
イコールではないよね。
頭良くても良いコミュニケーションを生み出そうとしない人もいるだろうし。

「その場に応じて臨機応変に振る舞う事ができる人が頭が良い」という発想は
文字通り「できる」人は頭が良いかもしれないけど
「できる」人にもそれを「する」か「しない」かって選択肢はあるわけで
「する」か「しない」かで頭の良し悪しを判断するって発想はあまり頭が良くない気がする。

ちなみに「空気を読む能力」と「頭の良さ」は関係ないと思う。
空気読んだ上で「どう振る舞うか」って部分には頭の良さが絡むかもしれないけど。

じゃあ自分はどんな人を頭が良いと思うのかと考えたが
上手い表現が思いつかない。
高い理解力・分析力を自然と備えてる人・・これも一面を表すだけっぽい。
難しい。

ってここまでの話は本題じゃなくて、
このエントリを書いたのはまなめさんの書かれた事に思う事があったから。
ちなみに、カンタンに教えることができる人は頭良いとは思いません。分からない人を理解できるのは、かつて分からなかった人だと思うのです。ゆえに、「頭がいい人」ではなく「乗り越えた人」なのです。
僕はどちらかと言えば逆で「カンタンに教えることができる人は頭良い」と思っている。

「カンタンに教えることができる」という事は、
「かつて分からなかった」かどうかに関わらず
その問題をキチンと「理解している人」だから。
そしてもっと言えば「かつて分からなかった」というのも
単純に「頭が良い」の否定になる要素だとは思わなかったり。

全てをすんなり「理解」できるならそれは頭が良いのだろうけど、
あまり細かい疑問を持たずに何でもすんなり頭に入れて(記憶)しまう人は
単に知識を持っているだけで「理解」していなかったりする。
そういうタイプの人は「かつて分からなかった」経験が無くても
「カンタンに教えること」は難しい。

僕が「本当に頭が良い」と感じる人は
「○○です」と言われて単純に「○○なのね」と「記憶する」タイプの人ではなく、
「何故か」「本当にそうか」とかいちいち分解・分析しながら
「理解」するタイプの人に多い。
というかそういうタイプにしか感じないかも。

こういうタイプの中でも本当に頭のいい人ってのは
誰かの疑問に対して「どの段階で躓いているのか」を「理解」し
問題解決へ導く事ができたりする。
つまり「カンタンに教えることができる人」だ。

というわけで、僕はやっぱり
「簡単に説明できる人は頭のいい人」だと思う。
簡単に説明するのを見たからって必ず「この人頭良いな」と思う程単純でもないけど
どちらかと言えばそうだと思う。
posted by ボボコフ at 13:27 | Comment(6) | TrackBack(0) | 考察 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年07月01日

自由と自分勝手は違う?

僕は、「自由と自分勝手は違う」と言って、責任のことを持ち出す大人が、大嫌いである。(明日は明日の風が吹く)

読んで思うところがあったのでさらっと書こうと思ったんだけど
考えていくうちによくわからなくなった。

脳内を整理する為に思いつくまま箇条書き。

・自由と自分勝手はある意味同じ、ある意味違う
・ここでは同じと考えていい気がする
・行動が味方にすら予測できない馬鹿が11人いるチーム?
・>「同じ」歯車だけの集団は、かえって非効率的
 これはその通り(絶対じゃないけど)
・大まかには同意なんだけど多少矛盾してるような?
・例に挙がっている規格外の人も恐らく責任を背負っている
・いくら監督やボスが責任を負うと言っても
 本人の責任がゼロになる事はまずない

自分の言いたい事はなんとなくわかってきた。

個人の「自由」や「自分勝手」にはやはり責任が伴う。
状況によってその何割かを背負ってくれる人がいるかもしれない。
さらに場合によっては本当に全部誰かが背負ってくれるかもしれない。
けれどそれを含めてどこかに「責任」は発生するんだと思う。

子育てというのは子供を自立させる作業。
親は子供に頼られたいと思いつつ、
相反する?自立の方向に導かなければならない。
その視点で考えれば
「自由と自分勝手は違う」と言って、責任のことを持ち出す
というのは悪い事じゃないはず。
というかむしろ必要と言える気がする。
そういうものだという事は教えるべきだ。
いつも親が守ってやれるわけじゃないし。

じゃあ何が問題なのかというと
彼らは、子供が自由であることの責任を、大人が放棄する国に生まれたのだ。
責任、という言葉でいらぬプレッシャーを個人にかける、教育と社会のほうに責任はなかったと言えるのか。
やっぱりこれなんじゃないかと。
責任があるからといって、
あまりにも大きな責任を背負わせすぎなんじゃないか。

というわけで僕の結論。
「自由や自分勝手には責任を伴う」
これは実際そういう面があるわけだし大切な事でもあるので
それをある程度認識させるのは悪い事ではない。
が、実際に子供に大きな責任を背負わせ、
プレッシャーの中で育てるような現在の日本の風潮には問題がある。

んー、確かにそんな気がする。。。
posted by ボボコフ at 04:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このエントリーを含むはてなブックマーク
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