2006年06月26日

「会話はキャッチボール」の本当の意味

「会話はキャッチボール」の本当の意味(九尾のネコ鞭)

タイトルからイメージした内容とあまりにもかけ離れた話だったので
ビックリした。

私はこれまで、この言葉の意味を「一方的に話すな」と言う意味として捉えてきた。会話はスピーチじゃないんだから、こちらが喋った後は、相手も喋る。会話が行き交う。つまりキャッチボールなのであると。
比喩って難しいんだなとあらためて思った。

しかし、キャッチボールには目標らしい目標がない。しいて言うなら、ダラダラと続けることだけが目標である。
これは明らかに違う。。。

で、色々と思ったことを書こうと思ったんだけど
トラバ先をいくつか見てたらもう書いてる人がいた。

僕がここに書こうと思っていたのはまさにこんな感じの内容。
会話はキャッチボール(色眼鏡)

で、僕が感じた事を簡潔かつ的確に表現されてるのがこちら。
比喩の限界(blitzkriegの日記)
会話の楽しさ、奥深さ、コツなどが理解できない
キャッチボールの楽しさ、奥深さ、コツなどが理解できない
そういう方によるあまりに偏狭な結論。

これ以上自分で書くことが無いや。。
posted by ボボコフ at 02:31 | Comment(4) | TrackBack(0) | 考察 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年06月23日

「楽しいという事」から「天才と秀才の違い」

「楽しいという事」から「天才と秀才の違い」(かえるの開発工房)

この人の話は全体的に凄く面白い。
個人的にこの面白さは分裂勘違い君劇場から感じるものに近いような。
まあそんな事はどうでもいい。

楽しいとは「ネットワークが構築される時の複雑さを増す引力」のことだ。
楽しいとはネットワークの成長の力、つまり自己組織力だったのだ。さらに言えば、生命力も自己組織力だ。だから、生きるのも楽しい。食べるのも楽しいし、寝るのも楽しい。人と話すのも楽しいし、何か物を作るのも考えるのも最高に楽しい。知ることや学ぶことも、背筋がぞくぞくするほど楽しい。
これは評価の仕方の問題ではない。評価の視点の問題だ。ネットワークが繋がることを注目するのか、ネットワークが繋がらないことに注目するのかということだ。繋がる方を見れば楽しくなり、それは成長である。

ただ、注目する場所を変えてしまうとそれは、繋がらないことを強調してしまう。そして、それは、いつまでたっても成長できなくなり、繋がらないことを恐れるようになってしまう。また、できないのじゃないかという無力の学習をしてしまうためだ。
いや、すばらしい。
こんな勢いのある文章が書けるって羨ましい。

楽しいってそうじゃないだろう?と思って
該当しない楽しさをあれこれ考えたんだけど、
無理やり当てはめれば大抵当てはまる気がした。

ただここは気になる。
天才は「楽しいことを楽しくやり続ける」だからこそ、ネットワークが密になり、常人では到達できないような域に達することができる。「好きなものこそ上手なれ」とはうまくいったものだ。だいたい、天才は「天才になろうとして努力している」のではない。好きなことをやっているだけだ。
少し前に別の所で同じような文章を読んだ記憶があるんだが
どこだったか忘れた。

天才と秀才の違い。
天才と凡人の違い。

天才は努力を努力と思わず楽しんでいるだけだ、という話。

これは全然納得いかない。
というか絶対違うと思うんだけど。

誰よりも好きならば誰よりも上手になれるか、
天才は皆その分野が好きでたまらない人達か、
と考えるとやっぱり違うと思う。

自分の経験で言えば、中学高校とひたすら大好きなバスケに励んだわけだが
実力はまあ普通だった。
練習が嫌だと思った事は1度も無く、毎日嬉々として練習した。
一人で朝練や夜練もした。
「好きか」と言えば誰より好きだったと思うし実際誰よりも量こなしたはず。
でも普通だったw

好きじゃなくても、他の誰も到達できない領域に行けてしまう人はいるし
好きでも大した成果が残らない場合もある。
実際こんなもんでしょ。

やっぱり天才ってのは他の人は持っていない何かを持ってる人の事じゃないかな。
それは生まれ持ったものかもしれないし
何かのきっかけで掴んだものかも知れないけれど、
好きとか嫌いとか努力とかでは身につかない特別な何かってやっぱりあると思う。
posted by ボボコフ at 19:47 | Comment(8) | TrackBack(0) | 考察 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年06月14日

友だち付き合いのうまい人、下手な人

ふーん、、と思った程度でスルーしてたんだけど、
ふとなんか書きたくなった。

友だち付き合いのうまい人、下手な人
A) 人に好かれる人
ネガティブワードをあまり言わない
気軽に人を誘うことをいとわない
仮面でない笑顔ができる
人の話をまっすぐに聴ける
いつも等身大の自分でいられる
自然に楽しむことができる

B) 敬遠されやすい人
物事を悲観的、批判的に捉えることが多い
支配的に他人に接する
他人に依存しやすい
時間的、精神的にゆとりがない
自分らしさがない
押し付けがましさがある
人に好かれる人と敬遠されやすい人って分類ならば、
Aの「気軽に人を誘うことをいとわない」ってのはいらないかな。
全然誘ってこないけど好かれてる人は多いでしょ。

それから
「いつも等身大の自分でいられる」
これ。
友達付き合いが疲れる?って話とも関係するけど
実はこういう人って結構少ないっぽいけど違うの?

まあその辺はどうでも良くて、僕がこの記事で気に入ったのは
重要なのは「自分一人の時間も充実して過ごす」事だってとこ。

友達付き合いが疲れる?の話を書いてる時も思ったんだけど、
結局いつも素に近い自分とか等身大の自分でいられるってのは
「最悪一人でも別にいいや」って開き直り?が必要なのかな?と。

無理して合わせなくても、気の合う奴と仲良くやってりゃいいや、ってのは
もしそういう人と出会わなければ一人でもいいやって前提が無いと成立しないっぽい。

じゃあ自分はそうだったのかと言うと
自分ではそうだと思っているんだけど
僕の場合子供の頃から嫁さんという理解者がいたという事実があって、
最低一人はわかってくれてるという中で生きてきたわけで
仮にそれがなくても同じ様に言えるか、というと
ハッキリとは言い切れないかもしれないなぁ。
posted by ボボコフ at 16:01 | Comment(4) | TrackBack(0) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク

勉強とは抽象化作業である

勉強とは抽象化作業である(304 Not Modified)
私の学生時代は、数学しかできなかった少年でしたので数学を例にしますが、公式って抽象的なものじゃないですか。例えば、三角形の面積を求める公式は(底辺)×(高さ)÷2であって、この公式さえ覚えていれば、底辺と高さの値がわかった瞬間にどんな三角形でも面積が求まる素晴らしい公式です。こういった抽象的な存在である公式を覚えるのが勉強にあたると思うのです。

昔から現在に至るまで、本腰を入れて勉強した事の無い自分にとっては
あまり共感できない考え方だなぁ。

「覚える」という作業が今も昔もとにかく苦手で。
「抽象的な存在である公式を覚えるのが勉強」なのであれば
僕はほとんど勉強していない。
授業中も含めて。

とにかく暗記しなければ、という覚え方をしたのって
九九とか・・解の公式とか・・まあある事はあるんだけど、
三角形の面積の公式にしても
四角の半分だから(底辺)×(高さ)÷2なんだとか
具体的な考え方ありきで身に付けたので。

大学も理系だったくせに、
公式として覚えてるものって驚くほど少なくて。
問題を解く時はまずわかり易くするために極端な例を作って
その答えの求め方を考えて
そこで得た式を実際の問題に当てはめて解く、、、
というようなやり方が主だったんだよね。

普通の人はその式を公式として覚えてるんだけど
僕はとにかくそういうの覚えられなかったから
具体的な考え方だけ身に付けて対応していた。

今、打率の求め方は?と言われても
10打数3安打で3割、これはこう計算すれば出るんだから・・
という感じで考えないと答えられないし。

元記事の考え方で言うと、僕にとっての学習は
「問題を解くために使う、抽象的な存在である公式を導く為の
具体的な考え方を身に付ける作業」
だったような気が。

身に付けるのは具体的な事なので、
「なるほど」と思えればすっと頭に入るんだよね。
だから高校程度までは何とか授業中心で対応できたんじゃないかなぁ。

で、プログラムの話にも触れられているけど、
僕が作るプログラムって完成した時点でほぼテスト完了してるようなものが多い。
単純なコーディングのミスは多々あるんだけどw
ロジックの問題はコード作成中にほとんど潰しちゃうから。
だから人より完成に時間がかかる(汗
抽象的なイメージでガガッと作れないのは弱点だと思うんだけど
やはり小さい頃からの積み重ねが無いからなのかどうも苦手だ。

で、ちょっと違う話になるけど
「『こんな問題解けても将来何の役にも立たない』と思っている人は、役に立たないよ」
これは違うと思う。
というのも僕自身『こんな問題解けても将来何の役にも立たない』
と思っている人だったんだけど
案外役に立つもんだな、と思う事が多々あったので。

じゃあ「こんな問題解けても将来何の役にも立たないよ」って言葉に
なんて答えるのが適当か。
んー。。。
「意外と役立ったりする事もあるから騙されたと思って身に付けとけ」
とか言うかな。。。
何の説得力も無いなぁ。

「でも少なくとも損もしないだろ?」
とか、、、んー、もし自分が言われてたら
「将来役立たないなら今これに使う時間が既に損じゃないか」
と思うよなぁ。

息子にこんな話されるまでにはいい答えを考えておこう。
posted by ボボコフ at 15:38 | Comment(9) | TrackBack(1) | 考察 | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年06月09日

矛盾させてくれ

矛盾させてくれ(他人の脳内)
人間が変化(あるいは成長)するということは、同じものを入力しても、過去になら返したであろう出力と違う出力を返すようになることで、つまり、過去の自分との一貫性を失うことだ。

この前提っておかしいよね?

必ずしも一貫性を失うことじゃないはずだと思うけど。
というかそうじゃない事だってざらにあると思うけど。

出力が変わるのは成長かもしれないし逆かもしれない。
変わらなくてもより確固たるものになっていれば成長かもしれない。

出力が同じでも違う演算してるかもしれないしね。

一貫性を捨てなければ、自我の成長とか変化はありえない。

だったら常に自分の考えを否定していけば成長しまくり!
ってそんなバカな。
これは極端すぎか。
posted by ボボコフ at 16:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このエントリーを含むはてなブックマーク

「それ、知ってます」は禁句

「それ、知ってます」は禁句(九十九式)

んー、そういうのって当たり前の話でわw

そういうのを理屈で考えなくてもごく自然に感じ取って当然のように振舞う事を
「空気を読む」って言うんじゃないかな。

ちょっと前に空気嫁とかコミュニケーション能力とか話題になったけど、
こうやって理屈や経験から技術として身につけていくのは
コミュニケーション能力を高めていく事なんだと思う。

自然に身についていく人は空気読める人なんだと思う。
僕は空気読めるかどうかってのはある程度先天的なものな気がしてる。

つまり、空気読めなくても
高いコミュニケーション能力は身に付けていけるという事。

そう考えれば空気読めるかどうかはそれ程重要じゃないのかも。
ていうかそんな事どうでもいいかw
posted by ボボコフ at 15:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク

ルールを厳格にする

ルールを厳格にする(見上げれば青い空)
勉強に対してこういう態度の子が学力を伸ばすのは相当に難しい。このあたりを厳格に指導し出すと「それはかわいそうだ」という親御さんも出てくる。しかしながらこういうことをいい加減にしていて後のことはすべてしっかりやっています、という子など絶対にいない。
これは極論過ぎる。
まず教育において「絶対」なんて言葉を安易に使っちゃだめだと思う。

学力というのは勉強時間を上乗せしただけで伸びるものではない。生活習慣やものの考え方、美学、哲学の変化を必要とする。腑抜けた態度で問題集を何度やり直そうとも成績はビクとも上がらないのである。
これはその通りだと思う。
やればいいってもんじゃない。
やったらやったなりのものは残るとも思うけれど。
効果に大きな差は出ると思う。

で、その変化をどうやって起こすかだけど、
それは「やる気の出るお話」も「行動をきちんとさせること」も
1つの方法としてありだと思う。

どれも可能性があるだろうし逆に絶対でもないはず。
いや、確かに効果は高そうだと思うけれど。

「絶対」と言われるとつい絶対とは言えないだろ、
と言いたくなってしまうんだよね。

でもこれって結構大切な事だとも思っていて。
息子と話す時は特に使わないようにしたいと思う。
posted by ボボコフ at 15:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このエントリーを含むはてなブックマーク

「好きなことを書けばいい」というアドバイスは役に立つのか?

「好きなことを書けばいい」というアドバイスは役に立つのか?(304 Not Modified)
好きなことを書けばいい。

これは問題の解決にはさほど役に立たない。
だからといって、常に役に立たないわけではない。

「万能薬というものはどんな病気にも効かない」という前提での
「好きなことを書けばいい」=万能薬。

なるほど、そんな感じかもしれない。
それにしても効き目が弱い気がするけれど。

ブログについて悩んでる人にこの言葉をかけても
結局本人次第な部分が大きい。

何が問題なのかが分からない人にとっては、
気づきのきっかけになるのではないだろうか。

その通りだと思う。


僕は「思ってる事を書けばいい」とか
「考えてる事を書けばいい」と言った方がいい気がする。

何を書けばいいのか、、と悩んでいるならそれをそのまま書けばいい。

思いをそのまま書き綴る。
形に残してあらためて見直す事で、悩みは解決するかもしれない。
もしくはそれを読んだ誰かが適切な処方箋を用意してくれるかもしれない。

2年近くブログを書いてきて、
むしろそれこそがブログの1番有効な使い方なんじゃないかとか思ったりもする。

「同じ内容の文章でも、自分で書くと記憶に残る」とかの話も全部同じで、
とにかく感じた事考えた事をどんどん書け、と。
posted by ボボコフ at 15:14 | Comment(4) | TrackBack(0) | blog | このエントリーを含むはてなブックマーク

同じ内容の文章でも、自分で書くと記憶に残る

同じ内容の文章でも、自分で書くと記憶に残る(明日は明日の風が吹く)
ニュースサイトを巡回し、気になったニュースの感想や意見でも書こうと思うと、既にあるサイトで秀逸な文章が書かれているのを発見してしまう。そうすると、一瞬にして書く気が失せてしまう。
しかし、秀逸な文章に完膚なきまでに打ちのめされ、ニュースに対する自分の意見を書かないと、自分の意見を忘れてしまうのですね。どんなに秀逸で、自分とほぼ同意見でも、自分で書いたのではないから、その時の自分の印象は思い出せない。しかし、自分の意見を書いておけば、後からそれを見返した時に、どのような経緯で、どんな思考で感想や意見を書いたかを思い出せる。
その通り!なんだよね多分。

言いたい事を誰かが上手く書いてくれてる文章を見つけたり、
思い入れが強いが故にそれなりの文章に仕上げようとして
結局書かずに終わる、、って事が多すぎて自分でウンザリして。

昨日の「なるほど!」を放置させないも同様で
とにかく自分のその時の記録を残そうという思いからここを作ったんだよね。
なのでここはガンガン書く。
思いつくまま。
posted by ボボコフ at 14:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | blog | このエントリーを含むはてなブックマーク

まるでフィクションのような風景

まるでフィクションのような風景(痛いニュース(ノ∀`))

すげぇ。
全部本物の風景??

圧倒的なものがあるね。
言葉が出ないというか。
地球を大切にしよう。

>>12は全体にピントがあってるからジオラマ風に見えるってやつかな?
これやってみたいんだけど道具とテクニックがいるらしいんだよねぇ。
posted by ボボコフ at 01:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネタ | このエントリーを含むはてなブックマーク
2006年06月08日

SEO TOOLS

これは便利。

SEO TOOLS

GoogleとYahooの検索結果、ページランクから
サイトのSEOについて評価してくれる。

手軽に状況を把握するにはもってこい。

現在やたら重くなってるけど。
posted by ボボコフ at 19:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 便利サイト・ツール | このエントリーを含むはてなブックマーク

"5秒ルール"は正しいことが科学的に証明される

◆”5秒ルール”は正しいことが科学的に証明される(◆空を見上げて犬は今日も歩く)
アメリカ・イリノイ大学の研究者グループによると、いわゆる”5秒ルール”は、迷信ではないとのことである。研究者グループは、もし食べ物を床に落としてしまっても、5秒以内にそれを拾い上げれば食べても健康には全く問題ない、という。

5秒ルールって全国的に5秒なのかな?とか思ってたんだけど、
国内どころか海外でも5秒なのか!
しかもそれは正しいのか!

なんか感動的なニュースだ。
posted by ボボコフ at 17:47 | Comment(2) | TrackBack(1) | 雑学 | このエントリーを含むはてなブックマーク

いなか、の、じけん(秋田県小一男児殺害事件)

いなか、の、じけん (秋田県小一男児殺害事件)(弁償するとき目が光る)
元同級生が鈴香容疑者の子供時代に言及して「臭かった」とか「汚かった」とか更には「もの好きもいるんだなって」(結婚に関して)とか、引くから。ドン引きだから。っていうか、おまえが虐めてたんだろって話しだ。で、子供の頃ならまだしも今になってもその発言でしょう。お里が知れると思いました。もう最初から知れてるけど。「(鈴香容疑者は)汚いからみんな避けてました」って、子供は残酷で野蛮だから、仕方がないかもしれないけれど、なんか「汚いから悪い」「避けるのは当然」と今でも思っていそうな気がして、いや確実に思っていて、おまけに事件を盾にして虐めも正当化しそうな勢いすら感じた。後悔も反省もなさそう。

このエントリで言わんとしてる事にはほぼ全面的に同意。

事件そのものもそうなんだが、
一連の報道の流れを見てると
何とも言えない気持ちになるね。

自分が事件起こしたら何て報道されるのか見てみたい。
あまり関わり無かった元同級生とか出てきたりね。
「ゲームばっかりしてた」
「無口で何考えてるのかわからない」
この辺りは確実に出るな。

あとこのエントリでちょっと気になったのは「いなか」という表現。

エントリ自体は「いなか」という言葉に
特に意味は持たせてないのかもしれないんだけど、
少なくともコメント欄では田舎は〜という話がチラホラ。

田舎か否か(!)なんて全く関係ないと思うけれど。
東京を作ってる人の多くは地方の人だし。
posted by ボボコフ at 17:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク

ボログ始めました

「なるほど!」を放置させない
例えば、セミナーに参加した際に、そこでの「なるほど!」をメモする場合を考えてみます。手帳なりノートなり紙に書かれた情報を後で活用するには、以下のステップが漏れなく実行される必要があります。

 1.メモした内容を読み返す(あるいは思い出す)
 2.自分の仕事や生活に活かせる内容は活かす
 3.人に教える、シェアする
さらに、書いたメモを自分の手元だけに置いておくのでは参照する機会が限定されてしまいますので、ブログにアップするようにします。こうすることで、以下のようなメリットが生まれます。

 1.自分以外の人の目に触れるチャンスが増える
 2.自分では思い至らないフィードバックが得られる(ことがある)
 3.自分でも忘れていたようなメモを掘り返してもらえる(ことがある)

前々から似たような事を考えてはいたんだけど
なかなか実行に移せずにいた。

そんな時にこの記事を読んであらためて「なるほど!」と思った。
というわけで実行してみた。

メインのブログがあるんだけどそっちはよりプライベートなものにして
ネットで見つけたあれこれは速やかにこっちにメモしていく事にする。
posted by ボボコフ at 17:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | blog | このエントリーを含むはてなブックマーク
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